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令和5年(2023年)3月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

ヨット

 大学のクラブで始めたヨットが好きで、いくつかの船を乗り継ぎながら続けている。そして62歳になった今でもどんどん楽しくなっていく。
 卒後最初に乗ったのは中古のエンジン付きのクルーザーだった。買ったものの、あまり乗れない時期がかなり続いたが、短時間だけ1人で乗るようにしてから乗る回数が増えていった。乗る時は気持ち良く風を受ける方向に気楽に帆走するのが好きだった。3人の娘達が乗るようになってからは更に楽しい時間を過ごせた。
 ただ、そのヨットは冬には風と波を避けるものが無くてとにかく寒い。船もかなり傷んできていたので、冷暖房付きで船内での操船が可能な木造クルーザーを購入した。完成に3年掛かったが、1人での帆走はもちろん、子どもと泊まったり、木造艇の集まりに参加したりと大活躍してくれた。
 この船も気に入っていたが、もともとエンジンの無い小型艇が好きだったので、50歳で「モス級」という1人乗りの小型艇を始めた。船の下に水中翼が付いていて、風が強くなると水中翼以外は水面上に浮き上がる。これを「飛ぶ」といって、飛ぶと船が作る波の音が消えて静寂の世界になる。水の抵抗が極端に減るので、急に帆走速度が上がって時速40キロメートル以上になることもある。大変気持ちが良くて、飛べた日は1日幸せに過ごせる。
 しかし扱いは大変で、出艇する時は横倒しにした船を背中に担ぎ、浜から歩いて水の中に入る。足の届かない所まで引っ張りながら泳いでから、横倒しの船を起こしながら乗り込んで帆走する。乗っている最中も、操船が難しくてすぐに横倒しになってしまう。本体は全てカーボンファイバー製で、部品も特殊な構造で作られている。それが次々と壊れるが、特殊なためにヨット修理業者でも修理できない。大抵のものは自分で直さなければならない。
 ヨットではさまざまな試合が行われているが、試合では好きな方向へ気楽に走れないのでほとんど出たことがなかった。モスを始めてからは、うまい選手と一緒に帆走してみたいので年に一度試合に参加するようになったが、なかなか完走できなかった。
 2016年に世界選手権が日本で行われることになった。モスでは船を手に入れ、維持し、スタートラインまで行けるのが予選と言われていて、世界選手権でも予選が行われない。それを良いことに参加することにした。
 参加するからには試合でそれなりに帆走したい。琵琶湖では風が弱くてあまり練習にならないので、風が吹いて練習しやすい浜名湖へ通った。土曜日の午前の診察を終えてから浜名湖へ行って1泊する。日曜日に浜名湖で帆走して夕方に帰る。長く休める年末年始、5月連休、お盆は浜名湖で1人合宿をしていた。
 世界選手権にはオリンピック金メダリストなど一流プロが参加。気合い十分で臨んだが、船が壊れたり風が強すぎたりして、実際に参加できたのは5日間のうちの3日目から。1日に3回くらいのレースがあるがほとんど最下位だった。でも頑張ればご褒美があるもので、世界チャンピオンと、すぐ後ろを追い掛ける私の2人だけが映った写真が、週刊誌の巻頭カラーグラビアのトップページ全面に掲載されて良い記念になった(実際は、抜かれて周回遅れになった瞬間であったが......)。
 楽しいが体には厳しい船で、気が付けばアザができているのはいつものこと。2年前には水面で胸を強打して肋軟骨(ろくなんこつ)の1本が真っ二つに割れた。今年の冬の寒い日には、横倒しを繰り返して浜に上がる直前に低体温になり救助してもらう羽目になった。やる気はあるが身体機能は少しずつ低下していく。大きな事故を起こさないように注意しながら少しでも長くヨットに、できればモスに乗り続けたいと思っている。

滋賀県 大津市医師会誌 第532号より

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