卯年生まれとして忘れられないのは、小学生低学年の時に学校で教諭が読み聞かせしてくれた絵本のことです。十二支の動物がそれぞれの国に住んでいるのですが、当初、兎は十二支に入っていません。領地が隣り合わせの虎と龍が、自分こそが最強であると主張してイザコザばかり起こしています。そこで神様が見張り役として虎と龍の間に兎を配置することにするのです。兎は虎と龍が戦いの準備をしていないか、ちょっとの音も聞き漏らさないように耳をそばだて、夜も寝ないで見張りを続けます。そのため、兎の耳は長くなり、目は充血して赤くなりました、というお話です。同級生一同、自分達の干支(えと)でありながら、何と不憫(ふびん)な役割だろうと悲しく思ったのを覚えています。
1年間に生まれた人間が皆同じ性格であるはずがなく、卯年でも気性の激しい者もいれば穏やかな者もいるのは当たり前ですが、先入観かも知れませんが卯年生まれはやはり穏やかな者が多い印象を持っています。特に私の年は癸卯(みずのとう)で、卯年の中でも温和な性格が多いとされているようです。ちなみに、この文章を書くに当たって、生年ではなく自分の誕生日の六十干支を調べてみたところ、癸酉(みずのととり)でした。癸酉もゆったりゆるやかな性格とされているようです。しかし、自分もそれなりにおとなしい性格と思っていますが、時間に追われたり疲れていると、イラついたり、他人に必要以上に強く当たってしまったりします。卯年生まれとして恥ずかしい限りで、まだまだ癸卯としての精神修練が必要です。
干支に思いを馳せる時に外せないのは、3年下が丙午(ひのえうま)の年であることです。「丙午の女性は気性が激しく、結婚すると夫が早死にする」という迷信を、私の親や祖父母の世代はかなり信じていました。私の実家は東京の下町の自営業者でしたが、小さい有限会社とは言え高度成長期の時代であり、若い従業員がそれなりに多くいて、彼らに食事を提供する賄い役のおばさんが一人住み込みで働いていました。そのおばさんは丙午生まれで独身でした。彼女のことを嫌う人も少なからずいて、「丙午の女はやっぱりキツイ」みたいなことを言っているのをしばしば耳にしました。しかし、その賄いさんは私のことを自分の孫のように可愛がり、私には兄と妹がいましたが、「あなたは世界で一番可愛い子どもだ」と言ってよくギュッと抱きしめなどしてくれ、事あるごとに私のことを褒めちぎってくれるのでした。気恥ずかしくも感じましたが、私が自己肯定感を身に付ける上でとても大きな役割を果たしてくれたと思っています。
そして、大学生時代に知り合って、生涯の伴侶として今現在一緒に暮らしている女性も丙午の生まれです。3月生まれで、父親からは「早生まれは本当の丙午ではない」と言われたりしていたようです。結婚の意思を家族に伝えた時は、祖母から「丙午と結婚して大丈夫か」と言われたりしました(祖母は丙午の2つ上の辰年でした)。「兎は大人しいけど意外としぶといから大丈夫ですよ」みたいに答えたように覚えています。
今年の9月には結婚して32年となります。癸卯の男は丙午の女性が側にいてくれると幸福になる、という新たな「迷信」を作れているかなと思ったりしています。