閉じる

令和6年(2024年)1月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

言った! 言わない!

 還暦を過ぎた我々夫婦は、「言ったよね」「言っていない」「聞いていたよね」「聞いていない」といった不毛な議論をこのところしょっちゅう繰り返している。
 いったいいつからこうなったのだろう。10年くらい前はこれほどではなかったと思う。やはりこの数年で年々エスカレートしている。この議論は一方的にどちらかがということではなく、攻守を代えながら互いに自分がほぼいつも正しくて伴侶が間違っていると思っている。そしてあんなに記憶力が良かった伴侶がこれほどまでに衰えるなんて、つまり老いてきたことを悲しく思うのである。
 例えばどこの家庭にもありそうなことだが、私が妻に「歯磨き粉が少なくなったから買っておいて」と言ってもなかなかすぐには買ってもらえない。妻は「忙しかった」とか「早めに言ってくれないと」などとは言うが、決して「忘れていた」とは言わない。そのうち「絞ればまだ使えるでしょ」などとのたまう。いやいや話をすり替えないでと思う。妻はというと、私に「明日ゴミ袋を出勤の時に出してね」と言い、私は確かに「分かった」と返事をする。しかしゴミ袋を家の物置に置いたまま出勤してしまったりする。時には出勤時に車のトランクにゴミ袋を入れるのだがそのままゴミ集積場を素通りして職場に行ってしまう。ハッと思い出して、昼休みに出せるゴミ集積場を求めてさまようハメになる。
 これらはささいなことではあるが、若い頃には無かったことであり、お互いに自分のことを棚に上げて相手の劣化を嘆く始末である。しかし、「言った」「言わない」の口論もより深刻なのは、言われたこと自体を覚えていない時である。これが一番やっかいであり議論が白熱するのである。
 結局、この不毛な議論にケリをつける方法としてたどり着いたのは、娘に証人になってもらうことである。わが家では大事な話ほど娘の立ち会いの下でお互いに告げるようにしている。娘は公平であり「お父さんは確かにお母さんに言っていた」とか「お母さんの話をお父さんは聞いていた」と第三者としてジャッジしてくれる。
 ただ、私の不満としては、妻と娘があらかじめ取り決めたことに、酔った私の「言ったこと」も「聞いたこと」も効力を持たないとし、言った言わない議論に始めから参戦できないという点である。酔った私はそれほど信頼が無い。
 それはさておいても公平な娘の判定によると、私達夫婦のバトルは五分五分かあるいは私の方が劣性だとのことである。私としてはほとんど自分の方が正しいと思っていたので納得のいかない評価である。
 まあ、こんなことは内輪のことで慣れっこであるが、他の人を巻き込んだりするのは困りものである。先日妻が医院のスタッフに対して「院長(私)は今年の夏休みは例年より多く考えている」と告げてしまった。私は事務長である妻にその考えを提案したことは確かに覚えているが、スタッフには断じて言っていない。しかし妻は、私がしばらく前にスタッフにも話をしていて、皆もそのことを楽しみにしていると言って譲らない。結局今回の件は、妻が仕組んだのではないかと疑いながらもスタッフには少し長めの休暇を取ってもらうことにした。こんなふうに誰かが喜んでくれるようなことならまだしも、自分が覚えていないことで他の人に迷惑が掛からないように、私も妻もこれから一層気を付けなければならない。
 まあこの先も私達夫婦のこの言い争いは続くであろうが、時は公平に流れる。互いの老いを受け入れながら仲良くやっていくしかあるまい。
 アッ、しまった、今日もまたゴミ袋を出すのを忘れてしまった......。

宮城県 仙台市医師会報 NO.707号より

戻る

シェア

ページトップへ

閉じる