自宅で過ごす時間が増えたコロナ禍の3年間、いくつかの新しい趣味を見付けましたが、そのうちの一つが写経です。ちょうど私の中に仏像ブームが到来しており、拝観しながら般若心経を唱えられたら教養人っぽくてカッコいいのでは?という妙な煩悩が湧いたのがきっかけです。写経なら毛筆の練習になるし一石二鳥だと、軽い気持ちで始めました。
どうせ初めはろくな字を書けないだろうと、筆と墨液は百均で購入し、プリンの空き容器が硯(すずり)、不要になった印刷物の裏を半紙代わりにしてスタートです。折よく"お家で写経"という新聞の企画記事を見付け、そこに掲載されていた般若心経の全文を切り抜いてお手本にしました。
初期投資税込み210円で始めた写経は、初動ミスで大苦戦でした。小筆を下ろす際に丸洗いして糊(のり)を全て落としたため、コシが無くなり文字が太くなったり、とてつもなく大きくなったり。下手な手習いを見て投げやりな気持ちになるとますます筆は乱れ、散々な出来でした。
そんな私を見かねた姉が、「弘法筆を選ばず!」と皮肉を言いつつ大学時代に使っていた書道道具一式を貸してくれました。
未使用の筆や半紙もそろっており、初回のミスを繰り返すまいと正しい筆の使い方をネット検索し、心機一転、やり直しです。基本的な扱いを予習したおかげか、はたまた分不相応な道具のおかげか、リベンジ後は少しずつ毛筆に慣れていきました。
その後、お寺の写経体験では気軽に筆ペンを用いることも多いと知り、早速買い求めてみました。
サインペンのような100円筆ペンしか知らなかった私にとって、昨今の筆ペンの進化には驚くばかりです。ペン先が毛筆になっており、筆と変わらぬ(いや、初心者にとっては筆以上の)書き味です。また、インクカートリッジを交換することができ、SDGsにもかなっています。今では準備がおっくうな時の写経のみならず、宛名書きなど日常生活でも愛用しています。
初めは文字の羅列にしか見えなかった般若心経ですが、何度も書き写すうちにどんな意味を持っているのかと興味を持つようになり、現代語訳を読んでみました。すると、腑(ふ)に落ちることばかりで、これも新たな発見でした。自分が48年を掛けて何となく分かりかけてきた人の生きる道の真理みたいなものを、35歳で悟ったお釈迦様は立派な人だと改めて感じます。
写経を始めて半年余り、当初は集中が続かず最後まで書き写せずにいましたが、下手ながらも継続しているうちに、今では全文を通して書けるようになりました。途中、愛犬に手本を破られたり、筆をかじられたり、無心でいられるか試されているようなトラブルもありますが、文字を書いていると心穏やかでいられます。
一方で、紙とペンを見ると経文を書かずにいられないという変な習性も付いてしまい、秋田駅周辺の文具売り場で般若心経(ただし、暗記している冒頭48文字程度)の試し書きを見掛けたら、犯人は私の可能性が高いです。