中学3年生の時、初めて同じクラスになったO君は体が小さく細身で、ひ弱そうに見えました。物静かで、どちらかと言えば陰気で目立たない子です。隣の席になり話をしていると、彼は運動が大の苦手で、授業が終わると部活もせず一人で帰宅するということが分かりました。
彼は毎朝、間際の時間に登校してきます。カバンには教科書がいっぱい入っていてかなりの重さになりますが、それを肩に掛け校門に駆け込んでくるのです。学区は広いので、家が遠い子は通学距離が2キロメートル程ありましたが、彼もその道を走って通ってきていました。時々間に合わず遅刻になると、校門で先生に生徒手帳を取り上げられていました。
教室に入ると、汗をかいて苦しそうに肩で大きく息をしています。呼吸が整うのに3分程掛かります。その間は、とても話ができません。時々「ねえO君、今日は......」と声を掛けると、「ちょっと、ごめん。待って。少し後にして」と言われるのです。
私は一度、「夜は何時に寝るの? 夜中まで勉強しているの?」と聞いてみました。すると遅くまで起きているのは、勉強しながらラジオを聞いているからとのことでした。
当時のラジオ深夜放送は全盛期で、中高生に絶大な人気がありました。おしゃべりの得意なパーソナリティーが、とにかく面白おかしい話を連発します。番組にはがきを投稿すると、それが放送中に採用される可能性があって、リスナーも番組に参加している感覚を持ってもらえるように構成されていました。
O君はラジオを途中で止められないので、寝る時間はどうしても12時を過ぎてしまうと言っていました。彼は起床すると慌てて身支度を済ませ、ダッシュで学校に向かう日々だったのです。
私はO君に、「もう5分早く寝て、5分早く起きればいいのに」と提案しましたが、「それができれば苦労しないよ」と、ため息混じりの返答でした。
11月になり、体育では持久走が始まりました。タイムレースですから、運動能力の差が歴然とします。運動部で鍛えていた子が当然良い記録を出しますが、体育が大嫌いなO君に福音がもたらされました。素晴らしいタイムで、彼が1位になったのです。クラスメートは、驚愕(きょうがく)して歓声を上げました。そして何が起きたのか理解できず、不思議そうな顔をしていました。
授業後、O君に話を聞くと「いつもの登校のランニングに比べれば、荷物が無い分だけ楽だな」と言いました。彼の走力が飛躍的に向上していたのは、遅刻をしながらの走り込みが積み重なった賜物(たまもの)だったのです。O君は、「ラジオに耳を傾けているから学力は思ったように伸びないけど、体力は知らないうちに伸びたってことだな」と言っていました。受験が近付いている時期でそんなことを言っている場合ではないのですが、本人はかなり充実している様子でした。
教室に戻って皆から称賛を浴びたO君は、「やっぱり『継続は力』だな」と力説していました。
しかし本来の「継続は力」は、目的に向かってつらいことを我慢して邁進(まいしん)し続けることが大切であるという意味で、それがやがて大きな目標を達成することを言います。良い格言なのですが、この場合はちょっと違います。O君は体力を増進するために走ったのではなく、遅刻しないための方策だっただけです。図らずも、結果として走力が高まったに過ぎません。
更に言えば、朝から長距離を走らざるを得ない状況を作っていたのは、本人の怠惰な生活です。苦しくても走り続けたことは評価されますが、これは「継続は力」でしょうか。的確に表現するなら「棚から牡丹餅」ではないかと思うのです。
彼はこの日を境に、それまでの印象からは想像もつかないような、朗らかで快活な子になっていきました。遅刻の福音は、ここにも届いていたのです。O君は卒業の際のスピーチで、体育で初めてクラスメートに認められたことが中学3年間で一番うれしい思い出になったと語っていました。
現在O君は、町が運営する田舎の診療所に内科医として勤務しています。外来業務では、一度も遅刻したことはないと豪語しています。