ひろし君が3歳の頃の話である。
山梨の田舎に住んでいた時、ある夜に突然に肛門の辺りが「むずむず」としてきた。しばらくしてもその「むずむず」感が解消しないので、そっとパンツの中に手を入れて肛門の辺りを触ったら、何か温かくて「柔らかいもの」が手に触れたのだ。子ども心に何か悪い予感がしたのを記憶している。
何となく気になって、部屋の片隅から新聞紙を探した。それを小さくちぎって肛門の辺りの、その「柔らかいもの」を挟んで引っ張ったら、スーッと何かが肛門から抜けた感じがした。引っ張り出されたそのモノを天井の裸電球にかざして見た瞬間に、ひろし君は恐怖のあまりそのモノを窓から外に思いっきり遠くに放り出していたのだ。長さは10センチくらいで、かすかにピンク色をしており、クネクネとわずかに動いていた気がした。生まれて初めて見たものだった。ものすごく気が動転したのだが、ひろし君は親には話さずにその夜は黙って寝たのである。ひろし君はこの頃から親には何も言わない子どもだったようだ。
翌朝、起きた後にすぐに庭に出て昨夜の柔らかくて細長い物を探したところ、窓からさほど遠くない庭にピンク色をして、ピクリとも動かない長細い物体を発見した。ひろし君はその物体をジーッと観察し、穴を掘って埋めた。回虫のお墓である。その後は二度とこのようなことは無かったのである。記憶もほとんどかすれてしまった。
しかし、あれから50年後に、突然3歳の時の回虫事件を思い出したのである。
横浜で小児科医院を開院していたら、ある日、母親が「変なモノがこの子の肛門から出てきました」と言って、オムツを目の前で開けた。目をオムツの中に移すと、50年前のあの鮮やかな光景が突然によみがえってきたのである。
ピンクのその物体は、すでに死んでいた。「これは回虫ですね」と冷静に母親に告げると、母親はボソボソといろいろな事を話し始めた。以前から無農薬野菜を購入しており、主婦仲間ではブームになっていたという話。どうして自分の子どもにだけ回虫がいたのかという不満。更には昔の日本人には誰でも回虫がいたので、アレルギーが無かったなどと言うおばあちゃんの話など、某先生の説をもしゃべりだしたのである。アレコレと話題が多岐にわたったが、最後に駆虫薬を処方して、母親に納得して帰ってもらった。
ヒトの世の出来事は、振り子のように先に行ったり再び後戻りしながら進んでいくようだ。回虫事件は、まさにこのことを示す良い例だろう。