愛用の万年筆を使う度に思い出すある患者さんとのエピソードがある。医師になってから30数年たったが、どなたでもあると思うが、記憶に残る症例の経験があるだろう。自分の専門は、循環器内科であるが、初期研修を終え、医局からの指示である病院に4カ月程勤めることになった。ある時、60代女性の方が外来を受診された。診察で心雑音があり検査の結果、胸部外科で手術予定となった。やがて手術も成功し元気な姿で全快された。派遣という4カ月という短い間であったが、自分としては診断学の基本である聴診で疾患を見つけ、手術を受けて頂き治療完結できた。まさに医者冥利(みょうり)につきると言ったところだろうか。
10年ほど時が経ち、別の病院で勤務した時、思いもかけず偶然にその患者さんを診察することになった。お互いに顔を覚えていて、「元気に再会できてよかったですね」とか話したと思う。その後、自分は開業することになったが、嬉しいことにその患者さんも当院に通院して下さることになった。
ある日のことであったが、ご丁寧に「先生、開院○周年おめでとうございます。お気に召すようならお使い下さい」と万年筆を頂いたことがあった。パーカー社の万年筆であったが、マッカーサー元帥が太平洋戦争後の調印の際に使用されたことでも知られている。当時、カルテ書きはボールペンで、万年筆はウォーターマンの青インクの管(これも書き味は抜群だが)を時々使用していたが、筆記具にこだわることはなかった。また、開業後はキーボードによる電子カルテ入力がほとんどで、手書きをする機会も少なくなってきていた。この機会に筆記具の良さを見直すのもいいのかもしれないと、頂いた万年筆で落書きのようなものであったが日記を書くようになった。そんな殴り書きの日記帳もただの一行でもと書き続け、万年筆で書いたノートもかなりの冊数になった。
万年筆はそれほど力を入れなくとも文字が書けるため、殴り書きでもよく紙になじむ。また、書けば書くほどその人の書き癖にペンがなじんでくれる。万年筆は毎日使うことが長持ちさせるこつであり、時々コンバーターやペン先の洗浄などのメンテナンスが必要だが、それも楽しみの一つである。他の筆記具と違い、愛着も湧き何十年と使えるのも万年筆の奥ゆかしさであろう。文房具は種類も多いが、万年筆一つでもペン先、インクなどペン道楽は凝り出すと切りがない(今回は長くなるので割愛する)。万年筆で書類にサインする時などに「先生、おしゃれな万年筆ですね」とか言われ、それをきっかけに初対面の方でも話しが弾むこともあった。
時は流れ、自分も開業医のほうが、勤務医であった時間より長くなった。一人の患者さんと長くお付き合いすることも多くなった。その患者さんに数年後のある診察日に、頂いた万年筆についてお礼を申し上げた際に喜んで微笑まれていたのを思い出す。その後、転倒による外傷、脳疾患等で入院されたことがあったが、結局は自分のクリニックへ毎回ご自分で杖をつきながらも通って下さった。最近のことであるが、その患者さんのご家族より突然の病気で安らかに他界されたとの連絡を頂いた。とても落胆したが、「母は最期まで先生のことを話していました」と感謝の言葉があった。忘れられない患者さんのひとりである。
さあ、平穏無事に終わった今日は何を万年筆で書こうかな?