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令和6年(2024年)11月20日(水) / 南から北から / 日医ニュース

劣化という勿(なか)れ

 セルビッジデニムを知っていますか?
 まるで通のように投げ掛けたこの質問だが、昨年私自身が言われたことだ。新しいデニムを買おうと店内を物色していた時に、セルビッジの名を冠した商品を見付けた。触り心地は不自然な程カチカチで、均一な濃紺に染め上げられたその商品は正直私の好みではなかった。その硬さに不思議な顔をしていた私に気付いたのか、店員がおもむろに投げ掛けてきたのが冒頭の質問だ。デニムははくものの、特段こだわりがない私にそんな知識があるはずもなかった。
 店員の懇切な解説曰く、セルビッジは昔のシャトル織機で織ったデニム生地だという。現代のデニム生地と違い、大量生産をするのが難しい。現代の織機だと織りが早く、織り目が均一で、生地にストレッチ素材など与えることもできる。なのになぜ、わざわざ非効率で品質の安定しない昔の織機を使うのかというと、当時のデニム染色で不均一な織り目だと、はき込むにつれ、その不均一さが特有の味のある色の落ち方をするというのだ。丁寧にも数年間はき込んだ比較写真まで見せてくれ、その色落ちに心が奪われた。デニムという奥深い界隈(かいわい)があるのは何となく認知してはいたが、初めてピントが合った気がして思わずその商品を購入していた。
 家に帰ってからはサイトや動画を見あさり、"育て方"を勉強した。どうやらはけばはくほど擦れて色が落ちていくらしい。そこから毎日出勤時の相棒になった。今は少ししか色落ちはしていないが、"まだ"でき上がっていないという未知の感覚に心が弾んだ。
 この新たな熱が冷めやらないうちに、ネットをサーフィンしていた私は革製品に遭遇した。革は何となく何年も持つイメージを持っていた。私自身、黒の革靴を何年も所有している。しかし、そんな中見付けたのはヌメ革だった。
 ヌメ革とは鞣(なめ)しの工程で着色や表面加工をほとんど施さず、本革本来の手触りや匂いを楽しむものだ。何と言っても、黒や茶のイメージが強い革だが未使用のヌメ革はベージュであり、時間が経つにつれ手の油や紫外線で濃い飴色へと変化していく。より分かりやすい経年変化をするのだ。
 買った段階で"まだ"でき上がっていないところに私はやはり惹(ひ)かれ、早速ヌメ革を扱っている店に足を運んだ。そこには靴から鞄、時計に至るまでヌメ革で作られており、実際に経年変化している商品も見せてもらい私は恋に落ちた。
 店内を見ているとfirst shoesと書かれた商品がちょこんと椅子に座っていた。サイズは12・5センチ。素材はもちろんヌメ革で作られていた。実は、私には昨年娘が誕生している。もうすぐ1歳だ。すなわちもうすぐ歩き始める。妻とはどんな靴を買ってあげようかまさに話していた矢先のことであった。「なんて可愛い革靴!」。思わず声に出た。これは買ってあげたい。しかし値札を見るとなかなか手ごわいお値段。短い期間しか履けないしなぁと悩んでいた時に、一緒に来ていた妻が寄ってきた。「娘と一緒に育っていく靴なんだね!」と妻。
 最近なぜ"育てる"ことに惹かれるのだろうと疑問を感じていたのだが、そうか、経年変化していく流れで思い出が刻まれていくからなのかと腑(ふ)に落ちた。長年使っていると愛着が湧いてくるモノ、それがもっと目に見えて分かるから"育てる"ことが楽しいんだと。そう言えば父は最近盆栽にハマり始めた。少しずつ良い形に育てていくのが楽しいんだと。祖父も定年後畑仕事が趣味だが、みずみずしく育った野菜を孫達が笑顔で食べてくれるのがうれしいんだと。どうやら私も血は争えないらしい。
 娘のfirst shoesを買った。履けなくなったら飾ればいい。店員に黒とベージュがあるがどちらにするか聞かれた。私は迷わずベージュと答えた。

(一部省略)

富山県 富山市医師会報 第638号より

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