突然の喪失は、その場にいる者達に静寂と敬意をもたらす。TOKYO VALVESというTAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)を中心とした構造的心疾患の国際学会に参加した。その最終日に、その世界の巨匠であり、TAVIの父と称されたアラン・クリビエ博士が逝去したとの訃報が場内に流れた。79歳という若さでの死は、80歳を超える患者が主な対象となるTAVIを世界で初めて成功させ、多くの患者がその恩恵に与(あずか)っているというその偉大な業績を逆説的に際立たせた。
虎ノ門の会場を後にし、新橋駅からエアポート快特羽田空港行きに乗った。静かな車内に座り、品川駅で多くの乗客が押し寄せてきた時、一人の老婦人が目に留まった。立ち上がり席を譲ったところ、「私は糀谷(こうじや)で降りるので、それまで座らせてもらいますね」と人懐っこい笑顔で言った。
「んっ? この電車、京急蒲田まで止まりませんよ」「あれ、乗る電車、間違えちゃった!」と可愛く舌を出した。
90歳というその老婦人は、60代の息子がいること、多摩まで一人で墓参りに行った帰途であること、そして自らの川柳が大田区で賞を受けたことなどをうれしそうに語った。若干耳が遠いために大きな声で会話せねばならず、周りの乗客の目(耳)が気にはなったが、旅の恥はかき捨てとばかり会話は盛り上がった。「どちらまで行くの?」「愛媛はいいところね」「子どもさんは?」「仲のいいご家族なのね」。失礼ながらMMSE30点、Clinical Frailty Scale2と診断した。
品川を発って10分も経たないうちに、彼女との別れが訪れた。我々は握手を交わし、彼女は最後に言った。「あなたのこと、今日の日記に書いとくわね」。姿が見えなくなるまで下車したホームから手を振ってくれていた。彼女の人生の一コマ(の片隅)に加えてもらったこの出会いは、どこか重みを帯び、誇り高いものとなった。もし彼女が重症ASだったらクリビエ先生のご加護がありますように、と失礼でお節介な祈りを捧げつつも、電車は静かに羽田空港へと走り続けた。