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令和7年(2025年)1月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

お正月の匂いを求めて

 新年号の寄稿を頼まれて随分考えたのだが、とんと面白いお題が思い浮かばない。昔、父が医師会誌に「子どもの頃のあなたにとってお正月とは」とのお題で一口コラムを頼まれた時には、「正月の晴れ着そのもの」という答えを返していた。「その心は、普段より良いモノを着て食べて、楽しくはあるけれど、着てゴロゴロダラダラできないし、汚したらと思うといつものような乱暴な遊びもできなくて窮屈。3日で十分」といったことを言っていたように思う。
 いろいろ考えているうち、何がきっかけだったのか、ある匂いがフッとよみがえってきた。もう半世紀以上前、私の幼い頃の、わが家の元日の朝だけのにおいである。熾(おこ)したての炭火と白みそ雑煮とお屠蘇(とそ)のにおい。
 もちろん、もうその頃にはガスも石油もあったのだが、昔気質(かたぎ)の祖父母が臭いを嫌っていて、二人が元気だった間は、まだ炭火がわが家の暖房の主役を張っていたのだ。さすがに客間座敷や居間の暖房にはストーブが置かれていたし、診察室には早々にラジエーター式エアコンが入っていたが、昼間は湯沸かしを兼ねた練炭の大火鉢とやぐら炬燵(ごたつ)だけだった。祖父母の離れなどは練炭炬燵と長火鉢(時代劇で火消しの頭や大工棟梁の席の前か横にデンと置いてあるアレである)だけ。オイルヒーターが安全で臭いがしないということで導入されたのは私が小学校に上がったくらいの頃、炬燵が電気式になったのは更にもう少し経ってからのことである。
 話を戻そう。前夜の熾火(おきび)に消し炭を足して暖めたにおいとストーブのにおい、茶粥のほうじ茶とかすかな糠(ぬか)のにおいのする居間でとるのが普段の朝食だったが、元旦だけは、晴れ着を着て整列。別火で熾したばかりの備長炭で暖まった部屋の特有のにおいと、たっぷり追い鰹の掛かった白みそ雑煮のにおいのする座敷での食事だったのだ。色とりどりのお節とお屠蘇にお薄茶。母の真っ白な割烹着の糊(のり)のにおい。プルーストではないけれど、それらの香りを一度思い出すと、若かった頃の両親や祖父母、親類、建て替え前の診療所などの記憶が次々とよみがえってきて、一晩母と思い出話にふけることとなった。
 さてそうなると、「他の人達のお正月の匂いはどんなだろう」という興味がわいてきた。診療の合間の雑談に聞いてみると、やはり圧倒的に多いのがお屠蘇、お雑煮関連のにおいだった。
 普段の朝食とは違うみそや出汁、具の煮える匂いがお正月と強く結び付けられているのだろう。「白みそときな粉」という、ケンミンショー的奈良県ご当地雑煮のにおいをあげる患者さんもチャンとおられたし、「普段のみそ汁は煮干し出汁だが雑煮は昆布と鰹節」とか「お取り寄せの焼きアゴ出汁雑煮」、「十円玉くらいの大きさと薄さに切った鮒(ふな)寿司を具の上に載せて上から熱々のツユを張った時」といった、その患者さんごとの実家の味というか、においが絡むものが多かった。
 次に多かったのが、「お正月というよりはお正月の準備のにおいなんですけどねえ......」との前置きで出てくる、お節を作る匂い系。
 定番の「もち米を蒸すにおい」、「棒鱈を戻すにおい」、「黒豆(お家によってはお多福豆や五目豆)を炊くにおい」、「煮〆のにおい」などに混じって、「干しカズノコ(そんなものあったんだ)を戻すにおい」、「秘伝(!)の酢だこのつけ汁を作るにおい」などが出てきた。この辺は、「もう今はどこも塩して冷蔵(あるいは冷凍、真空パック)ばっかりで、味はこっちの方がエエのんですけど、あの香りがしませんのですわ」とか「嫁は顆粒だしと寿司酢でゴマカシときよりますねん」、「もう一昨年から通販お節ですわ。寂しい限りで」などの、時代の流れや嫁姑間のいわゆる「しゃもじ渡し」が絡んだコメントというか愚痴がオマケに付いてくることが多かった。
 初詣や初日の出関係の匂いも結構あって、おけら火や松明、焚火のにおいといった直接火を燃やす系のものや、甘酒やこぼれ梅といった子どもでも食べられる低アルコール飲料物のにおいがあったし、小正月のトンドやき(大和の左義長行事)の匂いを挙げる方もおられた。
 いろいろ挙げていったが、もう一つだけ、異色の匂いを挙げようと思う。「においがしないという匂い」である。
 その方の実家は工場で、いつも機械油と削った金属のにおいと、洗浄用の酸のにおいが漂っていたという。それが、12月28日の午前で仕事納めして、午後は大掃除。それから4日後の元旦にはさすがにそれらのにおいがしなくなっていた、ということのようだ。これもまた、立派な「お正月の匂い」と言えるだろう。
 先生方の「お正月の匂い」は何ですか。今もお正月には嗅げる匂いですか。

(一部省略)

奈良県 奈良県医師会報 Vol.864より

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