「じぃじは何歳?」と孫の次郎が問い掛けてきた。冗談半分に60を省いて、「5歳」と答えた。次郎が4歳の誕生日を迎え、僕が65歳の時だった。
「えっ」という声がしたように思う。次郎の顔から色が失せていた。次郎にとって僕の「5歳」という返事は、青天の霹靂(へきれき)のようなものであったろう。茫然(ぼうぜん)自失の体でフリーズしている。
次郎にも年齢の概念が分かるようになってきている。『今4歳の自分も1年経てば5歳になる。そうすると1年後に自分は、5歳のじぃじのように年老いるだろう......』
また次郎は最近、死ぬのが怖い。死を極度に恐れている。彼の頭の中には、わずか1年後には理不尽にも老人になり果て、死に近付いた自分の姿が映っているのかも知れない。この死の恐怖が混乱の原因になっているようだ。「本当は65歳だよ」と僕が言うと、ややあって『なぁんだ、じぃじは僕をからかったのか』という顔をして、次郎はピンクに蘇生し笑顔を取り戻した。
2021年7月20日、僕は食道破裂を患い9時間に及ぶ手術を受けた。食道が7センチメートルほど縦に裂けていたらしい。術後、主治医から、この病気は容易に敗血症、DICに陥り死亡率も高いのです、と言われた。大量吐血した時に、これで死んでしまうかも知れないと思ったが、不思議と怖いとは思わなかった。麻酔から覚めて最初に「今日は何月何日ですか?」と質問された。術前までの記憶をたどり、「7月21日です」と答えた。昨日と今日がつながった。見当識は保たれている。ああ、この身は、何か大きな力によって生かされているのだ......、と思った。
絶飲食期間25日、入院期間30日を要したものの赦(ゆる)されて生還した。
アマゾン奥地のインディオに、「人は何のために生きているのか」と問うと、「死ぬために生きている」と明確な答えが返ってくるという衝撃的な話をNHKのテレビ番組で知った。これまで生きてきた経験等から、僕は「幸せになるために人は生まれてくるのだ」という信念を持つに至っていた。しかし、幸せになるために生まれてきたのに、幸せな人生を送れない人は何のために生きれば良いのかという疑問は未解決だった。
インディオが言うように、それが真理であれば、死ぬために生きて必ず訪れる死を待ちさえすれば、不幸な人生であっても人生の最大目的は達成されるだろう。死ぬことにより人生が完結し、人は本懐(ほんかい)を遂げることができるのである。インディオの死生観は、これまでにかじったいかなる宗教より、はるかに明快かつ単純で分かりやすい。探し求めていた智慧(ちえ)を得て、目の前にかかっていたもやが消え、救われた思いがした。「死ぬために生きる」は至高の箴言(しんげん)、あるいは哲学と言い換えても良いと確信する。
次郎はこの春から小学校1年生になった。入学当初は新しい環境になじめず泣きながら登校していた。が、日常生活から死の恐怖は駆逐されているらしい。
5月初旬の昼下がりに公園に出掛けた。太陽の光は暖かく、そよ風が心地よかった。
あまたのナナホシテントウが、芝の上をうごめいていた。その中に交尾をしているものもいた。それを見付けた次郎は、「テントウ虫が結婚している」と言った。命あるものがその命をつなぐための行為を「結婚」と表現した次郎の心根が、けなげでいじらしく、美しいと思った。死を恐れるだけでなく、生を賛美する心が孫にも芽生えていることが知れて、大層うれしく満たされた気分になった。
このように、これから更に年を重ねていっても、生きていることの湧き上がるような愉悦を感じさせてくれる日もあるだろう。
生を享(う)けたからには、同時に死も付属しているのだから、生死のことは思い煩うことなく、大いなる力に全てを委ね、残りの人生を余すところなく味わい尽くそうと思っている。