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令和7年(2025年)2月20日(木) / 南から北から / 日医ニュース

私のこだわり!?

 「私のこだわり」というテーマを頂いて、「はて? 私のこだわりとは何だろう?」と考えてみましたが自分では全く思い付かず、高校生の娘に聞いてみました。
 娘「うーん、髪型じゃない?」
 私「え? 髪型???」
 娘「だって、その髪型している人あんまりいないし。遠くからでもすぐ分かる」
 予想外すぎる答えが返ってきました。今の私の髪型は、ショートカットにくるくるパーマがかかっています。なぜ、私はこの髪型に行き着いたのか。少々しょうもないテーマになってしまいますが、髪型の変遷と共に私の医者人生を振り返ってみました。
 原点は、大学5年生の病棟実習です。小児科で実習していた時、私は指導医の女性医師と一緒によく病棟で子ども達と遊んでいました。その頃、入院していた子ども達のブームは「アルプスの少女ハイジ」。絵本を持って来ては「読んで!」と言われ、よく一緒に読んでいました。
 やっと打ち解けてきたある日、ある子が私を指さして「ハイジ!!!」と呼び、その日から私のあだ名は「ハイジ」になりました。そう、その頃の私の髪型は、まさに「ハイジ」。ショートカットにくるくるのパーマがかかっていました。実は元々そんなに子ども好きでもなかった私ですが、なぜか「ハイジ」と呼ばれたことに心をわしづかみにされ、何とこれが「小児科医になる」と決める瞬間となったのでした。
 打って変わって臨床研修医。私は臨床研修医制度が初めて導入された年に初期臨床研修医1年目となりました。今とは違ってまだ手探りの制度です。昼夜問わずPHSが鳴り、病院に何連泊するのも当たり前でした。髪型なんて気にしている暇はありません。美容院に行かなくてもいいように、髪型はロングで前髪は伸ばしっぱなし。仕事中は後ろにぎゅっとまとめてお団子にしていました。
 今でも思い出します。朝起きて、鏡の前で髪をぎゅっと結んでぐるぐる巻きにして、一日の気合いを入れて戦闘モードになって仕事に出掛ける。私にとってその記憶は、必死に医師になろうともがいていた、苦しくて熱い気持ちが詰まった、今の自分を支える大切な光景です。
 その後、私は小児科医となり、出産を経て小児科に入局しました。やはり妊娠・出産・育児中は美容院に行く余裕が無く、髪は伸ばしっぱなしのロングだったのですが、「仕事に復帰するぞ!」という気合いと共にバッサリとまずはボブ丈になりました。そして、更に仕事に打ち込めば打ち込むほど、反比例するかのように髪の長さはどんどん短くなり、開業して数年経つ頃には「ツーブロック刈り上げショート」にまでなってしまいました。さすがに外来で子ども達から「誰?」と不思議な顔をされてしまうようになり、これはまずいと原点であるショートカットにパーマの「ハイジ」に戻るべく、現在の髪型になりました。
 私にとって、髪型はその時の自分の気持ちを象徴する大切な「こだわり」だったようです。元気に明るい「ハイジ」のような小児科医を目指して!?今日もくるくるパーマで過ごしたいと思います。

石川県 金沢市医師会だより 第623号より

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