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令和7年(2025年)7月5日(土) / 日医ニュース

遥(はる)か喧騒(けんそう)を離れて

 日常生活から離れて非日常を五感で感じ、リフレッシュするのが旅の醍醐味(だいごみ)である。旅先が空いていて、ゆったりと時間を過ごせれば、一層旅の楽しさが増す。
 交通網の発達やSNSの普及は、国際的な人の移動と情報の拡散を容易にし、特定の観光地に世界中から観光客を集中させた。特に日本では、円安が拍車を掛け、外国人観光客の数が急増し、オーバーツーリズムの弊害が生じている。
 今や観光地はどこも人の波、宿泊費や飲食代が高騰し、お金と貴重な時間を使ってストレスを貯めに行くことになりかねない。観光地はインバウンド仕様となり、日本独特の文化や情緒を失い始めている。
 ふと思い立ち、幕末の長州藩の志士達が集まり密議を交わした、尊王攘夷(そんのうじょうい)の活動拠点として知られる湯田温泉の「維新の湯」を訪れた。「維新の湯」は、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、伊藤博文などの幕末の志士達が、実際に入浴した歴史ある温泉である。
 江戸時代は国内の安定を図るため鎖国政策を取っていたが、幕末期に欧米列強の圧力が強まり、日本は大きな変革を迫られた。「天皇を尊び、外国を排除する」という尊王攘夷の思想は、最終的に開国が不可避となり、欧米の技術や制度を取り入れて近代化へと進んだ。言葉を変えれば、幕末の維新は、江戸時代から続く反グローバリズムの最後の抵抗と、外国から迫るグローバリズムの波への適応過程であった。
 インバウンドの喧騒から離れて「維新の湯」に浸かりながら、やがて維新という大変革を主導することになる幕末の志士達が、押し寄せるグローバリズムと日本の将来について議論を交わした光景に思いを巡らせた。
 目まぐるしいスピードで世界は動いているのに、今の日本は、本来の理念を見失ったグローバリズムに侵され「今だけ、金だけ、自分だけ」と周回遅れとなっている。単に藩の利益ではなく、日本全体の未来を考え、行動を訴えた高杉晋作の「国家に尽くすのときなり」の言葉は、もはや無意味で、時既に遅しなのだろうか。

(文)

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