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令和8年(2026年)8月20日(木) / 南から北から / 日医ニュース

初めてのレトルトカレー

 昼食にレトルトカレーが出てきた瞬間、幼少期の母とのやり取りが、記憶の奥底から走り出てきました。当時、鼻垂れ小僧だった私は、笑福亭仁鶴のテレビCM「3分間待つのだぞ」に心をわしづかみにされ、着物姿の女性が描かれた黄色い箱と赤い箱に恋い焦がれていました。今でこそレトルトカレーはスーパーにもコンビニにもあふれ、100円ショップから高級デパートまでどこでも手に入りますが、当時はレトルト食品など見たこともなく、CMで白い袋から湯気を立てながらこぼれ出てくるカレーに、目を輝かせていました。
 カレーライスは今も昔も子どもに人気の食べ物であり、もちろん、その小僧の大好物でもありました。母の手作りか近所の食堂でしかカレーライスを食べたことのなかった小僧にとって、ボンカレーはカレーライスへの好奇心をかき立て、食べたいという本能を呼び覚まし、夢のような食べ物でした。どうしても食べたくて、母に頼み込みましたが、当時の親は厳しく、おいそれと買ってくれることはありませんでした。買ってほしいと嘆願すると「宿題ちゃんとやれ」「勉強しろ」と、高いハードルをいくつも突き付けられたことを覚えています。そんな無理難題をおいそれとこなすような小僧ではなかったはずが、途中の経緯は定かでないものの、母が粘り負けたのか、それとも小僧がうまく丸め込んだのか、ある日ついに母がコンロでボンカレーを温めている場面に立ち会うことになります。
 小僧は固唾(かたず)を飲んでのぞき込みました。しかし、そこで早くも違和感を覚えます。CMでは透明なガラス鍋の中で沸騰する泡が踊っていたのに、目の前にあるのは普通のステンレス鍋で、沸騰している泡など見えない。そのガラス鍋越しの沸騰する泡の光景は、小僧の夢描いたボンカレーを食べる儀式に必要だったのでしょう。CMでの、沸騰するお湯がガラス鍋から泡と共に吹きこぼれんとする情景と白い袋のコラボレーションを家で再現してもらいたかった小僧は「それは違う!」と強く抗議しましたが、母に「同じよ」とあしらわれ、納得がいかないまま半分ケチがついた状態でじっと3分間を待ちました。
 ついに、ご飯の上にボンカレーがかけられる瞬間がやってきました。あのアテネオリンピック体操団体決勝での鉄棒着地の瞬間にアナウンサーが「栄光の架け橋だ!」と叫び声が上がり、「ゆず」のメロディーが流れ出したあの場面、あの劇的瞬間に匹敵する、小僧にとってのビッグイベントでした。CMのように湯気と共に袋の中からゴロゴロとしたニンジン・じゃがいも・肉塊がこぼれ落ちてくるはずでした。ところが白いお皿の白いご飯の上に現れたのは、CMの画像と大きくかけ離れたカレーでした。
 今ならCMでは料理の盛り付けや演出で美味しく見せることなど百も承知ですが、小僧にそんな知識などあるはずもありません。
 夢にまで見たボンカレーは、「こんなんじゃない」、純粋な子ども心でそう思いました。小僧は素直に母に言いました。「食べたかったのはこれじゃない」。母は即座に「じゃあ、食べなくていいよ」と返しました。小僧はそのまま涙をこぼしながら生まれて初めてのレトルトカレーを口にしました。そして心の中で思ったのです。「お母さんが作ってくれるいつものカレーの方がずっとおいしい」と。小僧はそれ以来ボンカレーを食べた記憶がありません。
 世の中には数えきれないほどのレトルトカレーがあり、毎週2~3種類を楽しんでいます。ボンカレーには罪がないけど、いまだ、手が伸びません。幼少期のPTSDを克服したいのか、いつの頃からかスパイスカレー作りやカレー名店巡りをするようになり、今はネット情報を基にカレー生活にどっぷりはまっています。県医師会館での仕事があれば山奥から喜んで出動し、仕事終わりに松江の美味しいカレー屋さんに立ち寄ることが、何よりの楽しみになっています。

(一部省略)

島根県 島根県医師会報 通算第926号より

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