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平成27年(2015年)11月5日(木) / 日医ニュース

日暮れまでにもう一度

 還暦を過ぎ俄(にわ)かに多くなった同窓会で、懐かしい顔触れと旧交を温めた或る日、企業家として名を成した友人がワイン片手に切々と話す。

  「俺は、ずっと『何者かになりたい』と思っていた。若い頃は世界を変える人物に。中年になってからは、せめて社会の中心人物に。そして還暦を過ぎて格好良く第一線から身を引き、人生を楽しむつもりだった。ところが一切の肩書が無くなると、とてつもない虚無感に襲われた。だって壇を下りた俺に振り向く人は稀(まれ)。俺はもう、何者でもない。もちろんこれから何者にもなれない。寂しくて落ち着かないよ。おい、俺はどうしたら良い?」

 そこで、生きることの淋(さび)しさや孤独を文学にした夏目漱石や車谷長吉、それとも福田恒存で慰めようかと思い口を開いたら、酔った頭から出てきた言葉は全然違っていた。

 「ねえ、私達って昔、高校で一緒に育てたボルボックスの体細胞みたいなものだよ。一つひとつ何者かになって勝手に動いているつもりが、みんな嫌でも地縁、血縁そして記憶と言う糸で繋(つな)がっている群体だよ。孤独を気取ったってそうはいかない。そんな渋い顔してお酒飲んだって美味(おい)しくないでしょ。思い出してごらんよ。文化祭の夜、隠れて仲間で回し飲みした、生物部秘蔵の怪しい密造酒、なぜか美味しかったよね。だから、まず糸を手繰って、一緒に時を過ごせる仲間をもう一度つくり、美味しいお酒を飲んでみたらいかが? 日暮れまでにもう少し時間があるよ。」
(美)

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