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平成28年(2016年)5月5日(木) / 日医ニュース

「人の技」と「高性能な医療機器」

 がん検診で突然「膵がん疑い」と言われ、さすがに慌てて地域で最も著名な専門医を受診した。超音波検査からMRI、造影CT、血管造影まで、できる検査全てを行い、異常なしとは言われたが、見せられた画像の解像度が自分の診療所とあまり変らず不安。
 そこで、有名な某がんセンターで再検すると、素人が見ても明らかな鮮明腫瘤像が映し出された。生検で炎症と診断されるも、財政難の公立病院で、新しい高精度の診断機器も手に入らず孤軍奮闘する先の専門医を、恨むどころか気の毒でならない。きっと歯がゆくて、脾肉(ひにく)を歎じる毎日ではないだろうか。
 それから、いろいろと心配になり、国内最高レベルの機器使用の評判につられ、そのがんセンターで大腸検査を受けると、小さなポリープが一つだけ見つかった。
 そこで診療所医師でも「神の手」と名高い専門医に切除をお願いしたら、何と要切除のポリープが新たに3個も発見される。
 思わず、「えっ! 何で最高の機器で見つからなかったの?」と問えば、「機器も大切だが、内視鏡手技の難しさを克服する医師の経験と技があってこそ」と。
 医療の当たり前をわが身大事で、つい忘れてしまったことが、ちょっと恥ずかしかった。
 考えれば、「医療提供体制の適正化」とは、医療機関の機能分化と医療費適正化を謳(うた)うが、国民の健康を第一義に考えれば、相応の医療圏ごとに優秀な人材と高性能機器を無意味に分散させず、「双方の精度管理も行う」高機能医療機関の配置を、まず目指すことではないか。
 「言うは易し」と叱られるも、「食べられなくなったら諦める」文化を国民に勧める前に、やるべきことがあると思う。

(美)

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