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令和4年(2022年)2月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

Holdup(ホールドアップ)......少なからず多からず

 アメリカからのニュースで、銃による犠牲者のニュースは常連だ。驚きより「またか」と思ってしまう。実際、私がいた病院の救急室では、ホワイトボードに今どういう患者が救急室内にいるのかを一覧で書いてあったが、常連はやはりMVA(Motor vehicle accident:交通事故)とGSW(Gun shot wound:銃創)の文字だった。
 アメリカに住んでいて、一番神経をすり減らすのは、トラブルに巻き込まれず毎日を安全に過ごすことである。無事に家に帰り着くと、通勤途中の必要以上の緊張のためか、日本以上に疲れを感じた。私がアメリカで研修医をしていた時のプログラムディレクターは、口癖のように「Eiichi,stay out of trouble!(厄介に巻き込まれるなよ!)」と、いつも注意をしてくれていたのを思い出す。その身を守る具体的な手段としては、
☆夜道を歩かないといけない時は、明るく人の多い側の歩道を歩く
☆夜中の横断歩道で信号待ちは危険なので信号は無視して渡る
☆財布の中は、少なからず多からず、20~40ドルくらいをポケットに入れておく
などなど、であった。
 しかし、いくら気を付けていても、トラブルは降り掛かるものだ。
 それは1年に1回の休みがもらえて、久々に日本に帰る道中のことだった。当時住んでいた東海岸のフィラデルフィアという町からニューヨークのケネディ空港まで行くのだが、いつものことでお金は無い。そこで、まずフィラデルフィアから安い乗り合いバスでマンハッタンまで行き、そこから空港行きバスに乗り継ぐこととした。
 フィラデルフィアを午前発のバスで出て、予定どおり2時間余りでマンハッタンのポートオーソリティ・バスターミナルに着いた。乗り場が200以上もあり、世界最大級のバスターミナルだ。大きく重いスーツケースを、汗をかきかき押しながら、空港行きの乗り場を探して歩いていると......、案の定、迷子になってしまった。
 「これは、困った」「時間どおりに空港行きバスに乗らないと、日本に帰れなくなってしまう!」
 だんだん焦ってきたが、むやみに進めば進むほど、深みにはまっていった。そのうち周りは人影も無くなってしまった。地下の薄暗い袋小路に迷い込んでしまった。
 その時だった。20歳そこそこの黒人の男2人・女2人の4人組が、陰からこっちに近付いてくる。その風貌(ふうぼう)や目付きから、すぐに悟った。「助け舟ではないな」と。そのうち男の一人が、懐から黒い塊をこちらに向け、ジェスチャーも交えながら、「Give me money!」。周りを見ても他には誰もいない。「これがホールドアップか」「これは夢か?」「どうか誰か通ってくれ」「こいつら俺よりずいぶん小さく軽そうだな」などなど思った。
 日本への帰路なので、財布にはお金がある程度入っていた。これを渡してしまっては、自分は絶対殺されてしまう。こういうこともあるかも知れないと、以前から教わっていた、少なからず多からず、だった。ポケットに入れておいた20ドル紙幣2枚と1ドル紙幣数枚をゆっくりと差し出した。
 すると、男は黒い筒をこっちに向けたままで、仲間の女が私に近寄ってきて、紙幣をわしづかみにひったくるように奪った。私は、「まだ何かあるのかな」と、こわばった顔をしていると......「Go!」。
 「うー、ありがたい!」
 持ち物を改められることもなく、スーツケースを取られることもなく、放免された!
 「神様・仏様、ありがとうございます!」
 白昼だったせいもあってか、連中は獲物を待ちながらここで同じことをいつもやっているだろうから、引き金は引くまいと思ってか、意外に冷静でいることができた。後は、恐怖よりも悔しさが沸き上がってきた。私は当時180センチ・80キロの、柔道をやったこともあるガタイだったのに比べ、連中は自分よりも20センチは小さく軽そうだった。ちんころこまい若僧4人組にまんまと40ドル以上も奪われ、悔しかったのを覚えている。
 この"少なからず多からず"、何人かのアメリカ人から聞いたことだった。エビデンスがあるのかどうかは知らない。ただ、何だかもっともらしく感じ、信じて実行していた。おかげで助かった!
 あれから四半世紀が過ぎた。ここ別府での仕事帰り、人通りも車通りも無い夜道を、口笛でも口ずさんで独り歩いて帰る時、「ここは何と安全なんだろう」と、しみじみありがたく、「日本に帰ってきて良かった」と思うのだ。

(一部省略)

大分県 別府市医師会報 第204号より

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