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令和4年(2022年)10月5日(水) / 南から北から / 日医ニュース

ひよこ

 どんな生き物も、原則、子どもや幼い時にはとても可愛い。大人から見ると、無類の生き物として見えるのが普通である。例えば子猫では、丸顔に真ん中に大きめの眼があって、いわゆる童顔で汚れを知らない純真無垢(むく)な表情で、周囲の成猫に甲高い声を上げている。哺乳類のみならず、どんな生物も大きめの目や弱々しい感じ、大きな声などが大人の気持ちを揺さぶる。母親はそれらに人一倍敏感に反応する。
 物心付いた小生が、お祭りで初めて心動かされたのは、綿飴でもなければヨーヨー、お面などではなく、ひよこであった。まだまだ黄色いひよこだけ(後にカラーのひよこが席巻する)であったが、そのふわふわした黄色い産毛の塊や、ピヨピヨと聞こえる鳴き声のまあ可愛らしいこと。可愛いと思えない人がいるとは絶対に無いと思っていた、素敵な生き物であった。
 当時、メスが100円、オスが50円であった。「メスは将来卵を産むから」高いのだと説明を受けた記憶があった。その当時、「いつかメスを買って、卵を産ませれば、毎日卵かけご飯が食べられる!」などと幼心に野心が芽生えたものだった。更には「オスと一緒だったら、ひよこも増えるかも知れない?」とませた一面もあったりした。
 しかし、当時の小生にとっては高額な買い物であると同時に、お祭りなどでないと出会えないひよこだったので、数年越しの計画となった。
 そしてその時が来た。小学校の4年生の時の地域の夏祭りに、ひよこがやってきた。しかし計画が実行できそうな時には何とメスが200円、オスが100円になっており、メス一匹の購入がやっとであった。
 ご存じのように、一匹では体温の保持が難しいので、当時は「ひよこ電球」なる代物を町の電気店で購入(その当時にそのような電球があったのが不思議である)。20ワット程の電球だが、ひよこを温めるには十分であった。電球のそばで、声を細めて気持ち良さそうに眠るひよこの姿を見るのは、至高の時間であった。米ぬかなどの餌をあげ、糞などの清掃を世話したりして大事に育てていた。しかし、母親の実家に一泊で遊びに行くことになり、火災の恐れがあるので泣く泣くひよこ電球を消して遊びに出掛けた。帰宅したところ、ひよこは冷たくなっていた。ひどく泣いたのはその時が最初であったと思う。
 中学生になった時に、再びひよこ熱が再燃。ひよこ電球を少なくとも夜間はつけておけるような環境の整備と、複数のひよこであればお互いに体を寄せれば体温を保てると思った。そこで今回はオスを1匹、メスを5匹、大枚をはたいて購入。ひよこ電球は夜間にだけタイマーでつくようにした。見事すくすくと成長し、全てが若い鶏になった。しかし、全ての鶏に、鶏冠(とさか)があり、未明よりコケコッコーとにぎやかになった。
 後から分かったことだが、人工的に孵化(ふか)したひよこは、メスは採卵のために確保され、オスは縁日でのひよこ売りや豚の餌にされるとのことだった。人間のオスで良かった~っと実感したのも事実。ふと思い出した子ども時代のエピソードの一つである。

福島県 福島県医師会報 第84巻第8号

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