午前1時を過ぎたはずなのに、やけに明るいと感じたのは月夜のせいだった。深夜に呼ばれて病理解剖を終え、魚屋さんのような前掛けを締め、冬だというのに裸足に履いた木製のサンダルをカランコロンと鳴らしながら解剖室を退出し、夜空を見上げたところだった。
ポケベルを持たされた解剖当番の夜(20時までは教室で待機し、その後は翌朝までオンコール体制)であったが、昼にも2件解剖があり、22時になったのでもう呼ばれないだろうと飲み始めた近所のスナックのカウンターでベルが鳴った。
「学会に出したい希少症例なので病理解剖の承諾は得たのだが、ご遺族が明日までは待てないとおっしゃるので、今夜中にお願いしたい」と顔なじみの消化器内科医に頭を下げられ、深夜に執刀することになった。胃の悪性リンパ腫であった。
隣の控室からは終わったばかりの解剖の結果を主治医がご遺族に説明している声が聞こえてくる。「先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました」と臨床医への謝辞が聞こえてきた。教室に戻り、A3判のプロトコールに肉眼所見を記載し終えて、帰宅途中の空も白み始めたタクシーの中で心の中に湧いていたのは病理医としての矜持であった。40年も前のことである。
これから始まる「医師の働き方改革」では「医師も労働者」と分類され、制約された時間の中で働く我々の後輩医師達は1857年、オランダ海軍軍医であったポンぺが長崎伝習所で説いた「医師たるべきもの自分のことは顧みず、患者の為に尽くすものだ」(出典:司馬遼太郎著、『胡蝶の夢』)という医師としての原点を、貫いていけるのだろうかと懸念している。
「医師としての矜持」を持ち続けられる改革であると良いのだが。
(がんこ親父)