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令和6年(2024年)1月25日(木) / 「日医君」だより

令和6年能登半島地震被災地の医療を支える~全国の医師会からのJMAT派遣3

 日本医師会では、1月1日に発生した令和6年能登半島地震に対し、石川県医師会の要請を受け、都道府県医師会が編成した"JMAT"(日本医師会災害医療チーム)を被災地へ派遣していますが、今回は、田名毅沖縄県医師会副会長/日本医師会救急災害医療対策委員会委員、出口宝沖縄県医師会災害医療委員会委員長らによる沖縄県医師会JMATの活動について紹介します。

 2024年1月1日の発災後、東日本大震災、熊本地震の経験から全国の都道府県医師会に日本医師会災害医療チーム(JMAT)の派遣要請が発出されることを念頭において1月4日に沖縄県医師会内に災害医療救護対策本部(本部長:安里哲好会長)を立ち上げました。

 日本医師会の救急災害医療対策委員会のメーリングリストにおいて村上美也子委員(富山県医師会長)からの第一報(1月2日)を皮切りに委員間でさまざまな意見・情報交換がなされた後に、1月5日、松本吉郎日本医師会長より都道府県医師会にJMATの編成・派遣の対応を依頼する文書が発出されました。

 依頼があり次第、JMATを派遣することを夕方の会議で決定していたため、直ぐに準備に入り、1月7日第一陣として医師2名、看護師2名、薬剤師1名、事務1名の計6名(班長:出口沖縄県医師会災害医療委員会委員長)を派遣しました。

 以下に沖縄県医師会が約1カ月担った活動を、石川県医師会JMAT調整本部の支援と志賀町の医療支援に分けて報告します。

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 当初、JMAT沖縄は派遣先が穴水町との指示を受けて出発しましたが、石川県庁に設置された石川県医師会災害対策本部と石川県保健医療福祉調整本部に到着したところ、JMAT調整本部の立上げ支援の要請を受けて3名が県庁本部に入り、3名を能登中部(七尾)に派遣することとなりました。

 災害医療では始めにCSCA(本部)を立ち上げるのが基本です。大規模災害では3階層(国・県・地域レベル)の連携体制で災害医療が展開されます。今回、本部では日本医師会・JMAT石川県調整本部・JMAT能登中部調整支部(七尾)の3階層体制でJMAT活動の調整・支援を開始し、順次、支部を能登北部(穴水)と金沢以南支部(金沢)に拡充していきました。

 沖縄県医師会は、熊本地震で熊本市南区における地域レベルでの保健医療調整本部立ち上げと運営を経験しましたが、県レベルは初めての経験でした。至らない点も多々あったと思いますが、石川県医師会と日本医師会、そして全国のJMATの皆様のご協力を頂き、本部運営を引き継いでいくことができました。

 一方、七尾に派遣されたチームは能登中部保健医療福祉調整本部の下で、病院避難の終了した志賀町立富来病院の災害対策本部の体制づくりと外来診療の支援並びに巡回診療を行いました。その後も沖縄県医師会では2月初旬まで派遣を継続する予定です。

 今回の能登半島地震におけるJMAT活動は、(1)能登中北部の被災地における避難所の巡回診療等、(2)被災された診療所・クリニックの診療再開への支援、(3)金沢市や小松市に開設された1.5次避難所や2次避難所の健康管理―の3つの役割を担っています。

 能登半島では道路事情も悪く、断水が長期化してインフラの復旧も遅れています。発災後3週間が過ぎてもDMATの派遣が続く中で、全国から参集したJMATが献身的な活動を展開しています。

 災害医療のステージが移行しDMATが任務を終了した後は、更にJMATが必要となると思われ、息の長い支援が求められています。

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