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令和7年(2025年)3月5日(水) / 南から北から / 日医ニュース

離島検診に行きなさい

 しばらく会っていない関東の友人夫婦が、「コロナ禍以降旅心が失せていましたが、元の暮らしに戻そう」と北海道白老町(しらおいちょう)のウポポイ(民族共生象徴空間)に行ったらしい。炉端に2人で座ってこっちを見ている写真付きの葉書が来た。妙にかしこまっているので一目見るなり吹き出してしまった。「ウポポイ凄くよかった」と万年筆で丁寧に書かれた葉書の二人をよくよく見ているうちに、昔々、30年以上前に口永良部島(くちのえらぶじま)に検診に行った日の事を思い出していた。
 口永良部島へは屋久島の宮之浦港からフェリーに乗って行く。県から毎年派遣される開業医である我々の検診は、眼科の先生といつも一緒だった。それぞれに看護師さん一人を連れていく。
 宮之浦港を出てしばらくすると船は大きく揺れだした。乗客は船室の畳の上に横になるしかなかった。とても立ってはいられない。そのうちに船は波間に浮かぶ木の葉のように揺れだした。向こうの隅で若い女の人が用意してある袋に吐いている。それを見て小生にも吐き気がきたが、動こうにも向こう側の壁にある嘔吐用の袋を取りに行けない。腹ばいになって腹の底からつき上がってくる吐き気をこらえる。嵐に巻き込まれた船はこのようにして海の藻くずとなるのか。うちの看護師さんも体をくの字にして苦虫の形相で何とかしてとこっちを見ている。眼科の先生方も必死に揺れに耐えている。そう言えば、眼科のお二人は70歳後半のようにお見受けしたが、しぐさから御夫婦ではと思った。
 そうこうしているうちに何とか口永良部島に着き、一夜の宿の一室で夕食となった。皆さん先程の船酔いはどこへやら、地元の人や役場の方々とワイワイガヤガヤにぎやかな会食となった。「それにしても揺れましたね。前来た時は船が小さくてこんなもんじゃなかった」と眼科の老先生。「でも皆さんに良くして頂いて、また来たいと思いましたもんね」と奥様。「あんなに揺れるんですね。初めて来ていろんなご苦労が分かりました」と小生。「お疲れ様でございました。毎年こうやって来て頂き、島の住民になり代わって厚く御礼を申し上げます」と働き盛りといった役場の係長が、威勢よく「乾杯!」と言った。
 外もだいぶ暗くなり会もお開きという時になった。「いや、お知り合いになったからお話しますが、離島検診の時は、家内を連れて行くことにしています。開業して40年になりますが、家内は3人の子を産んでくれました。その間私の怠慢で家内を一度も旅行にさえ連れて行きませんでした。今はその罪滅ぼしなんです。こんな老人が二人来て皆さんの足手まといになるやも知れませんが、どうぞお許し下さい」。奥様は老先生がほんのり酔った顔でそう言うのを見て微笑んでいた。
 若かった小生は、お二人のお話をそれほど意味深いものとはとっていなかった。今同年代になりしみじみとあのひと時を思い出している。

鹿児島県 鹿児島県医師会報 第883号より

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