かつてこんな言葉を読んだことがあります。
「ほとんどのヨットマンは陸地が見える沿岸水域でセイリングを楽しんでいるが、みんな心の中では世界周航の大冒険を行っているのだ」
これはセイリング以外にも広く当てはまる言葉だと思います。公営のキャンプ場にテントを張っているキャンパーも、法定速度でスポーツカーを走らせているドライバーも、心の中では現実よりもずっと大きな冒険を行っているのではないでしょうか。
私がそう思ったのは十数年ぶりにカメラを買った時でした。
私は元来インドア派で職場では一日中座って仕事、家に帰っても座ってする趣味しかありませんでした。カメラを持って写真でも撮れば少しは歩き回るようになるだろうと、ある時デジタル一眼レフを買いました。
それまで何度かカメラを買ったことがありましたが、それは旅行の記念写真や運動会の記録など実用的な家族サービスの道具でした。純粋な趣味の目的でカメラを買ったのはこれが初めてでした。
決して人に自慢できるような写真が撮れているわけではないのですが、それでも気持ちだけはロバート・キャパか土門拳か、何だか気分が高揚します。これもヨットマンやキャンパーやスポーツカーのドライバーと同様に、自分の想像の世界では現実よりもずっと大きな冒険をしている気持ちなのです。
ある自己啓発書に、「人生に成功したければスパイダーマンのパジャマを着た7歳児のような自信を持て」という言葉がありました。スパイダーマンの衣装を模したパジャマを着た7歳児はきっと無敵の気分になっているのでしょう。
大人になっても同じです。自分を無敵の気分にしてくれるオモチャを持って、世界周航かヒマラヤ登山か007のカーチェイスか、空想の中で現実よりも大きな冒険の気分に浸る。それが趣味というものの本質なのかも知れません。
いざカメラを持って出掛けてみると、それまでは全く気が付かなかったカメラマンの姿が目に入るようになりました。花が咲いている公園や紅葉が美しい水辺など、写真が撮れそうな場所に行くとそこにはほとんど必ず私と同年代のカメラマンがいるのです。どうやらカメラというのはこの年代の趣味らしく、長いレンズを大きなカメラに付けているのはみんな白髪交じりのおじさんばかりです。世間にこんなに大勢写真家がいたのかと驚きます。みんなカメラを構えて特別な自分に変貌しているのでしょう。誰もが真剣なまなざしです。
考えてみれば仕事にもそういう要素があるのかも知れません。「白衣脱いだらただの人」と言われる職種ですが、無敵のスパイダーマンになった方が有利なのか、冷めた自覚が有益なのか、時と場合に合わせながら考え直して振り返り続けることが大切だなあと思います。