もう三十数年前の話になるが、研修医の頃に夏休みを利用してタイヘ旅行したことがある。チケットだけ買って現地の安宿を探しながら旅するいわゆるバックパッカーで、観光地を観るよりも、観光地までの道のりを楽しむ旅行が好きだった。
学生の頃とは違って休暇は1週間しかないので、宿泊の予定地はだいたい決まっていた。タイといってもバンコクや海岸沿いのリゾート地ではなく、観光地の無い山間の東北部を選んだ。かなりマイナーな旅行ルートであり、鈍行列車を利用するため移動だけでかなりの時間を費やした。
そこはノーンカイといって、ラオスとの国境沿いにある小さな町だった。タイ最北地の終点駅といううたい文句がガイドブックには書いてあったが、着いてみると降りる客はまばらだった。当然、東南アジアでよく見掛ける旅行客相手に寄ってくる人間は誰もいなかった。
特に観光する場所もないので、国境になっているメコン川まで歩いてみることにした。十数分程すると、目の前にメコン川が大きく蛇行しながら横たわっていた。さすがに大河にふさわしく、濁った水が川幅からはみ出しそうなくらいにたっぷりと、そしてゆったりと動いていた。国境近くの辺境な地というのもあるだろうが、川の向こうに見える対岸のラオスの風景は、かなり殺風景だった。恐らく竹で編んだと思われる小さな家がぽつぽつと見え、そこに動く人の姿が見えた。
川をしばらく眺めた後、どこに行く当てもなく街をぶらぶらと歩いていたら、白いペンキで塗られた平屋建ての小さな病院が建っていた。のんびりした雰囲気のその病院は、私の目を引いた。一日おきに救急で呼び出しを食らう大きな総合病院で研修を積んでいた私には、何ともうらやましく、こんな病院で働いてみたいと本気で思った(それが、数年後に実際にフィリピンの田舎の病院で1年間過ごすことになろうとはこの時は夢にも思わなかった)。
病院を通り過ぎて少しすると、小さな床屋が目に入った。土産話代わりに、タイの田舎で髪でも切ってもらうのも悪くないなと思い立ち、中に入ってみた。誰もいなかったので奥の部屋に声を掛けると、店主であるらしい中年の男が出てきた。外国人の私を見るとけげんそうな顔をしたが、2本の指で髪を挟んで髪を切る仕草をすると、(そうか、そうか)と言うように急に表情を崩した。
椅子に座ってから鏡に映った後ろに目をやると、幾段もの棚に小さめの瓶詰めが所狭しと並べられていた。目を凝らして見ると、それは何かの標本のようだった。店主にあれは何かと尋ねると、彼は指で自分の歯を叩いた。「?」と思ったが、私の不可解な表情を察した店主はニコニコしながら、あれは全部自分が抜いた歯だと教えてくれた。床屋の赤と青の螺旋(らせん)看板は動脈と静脈で、昔の床屋は外科医院も兼ねていたというが、私が行った時には、まだその名残が残っていた。
最近「弾丸を噛め」という映画を観たせいで、このタイの床屋のことを思い出したのだが、ジーン・ハックマンやキャンディス・バーゲンといった往年の名優が出ている西部劇だった。あるシーンで流れ者が店の前に立っていて、頬は虫歯で腫れていた。看板には「BarBer & Dentist」と書いてあった。その男は客の髪を切っている店主に声を掛けて自分の口を開くと、店主はその口をのぞき込み、手に負えないとばかりに首を横に振って追い返す場面があった。どうやら床屋と歯医者を兼ねるというのは、タイの田舎に限らず世界共通のものらしい。ただ、ここでは時代が少しさかのぼったままの状態で止まっているらしかった。
それにしても抜いた他人の歯を飾っておくのはどうなのかと思ったが、店主にしてみれば、自分の実績を宣伝するものであるらしい。歯を削るドリルらしきものは一切なく、恐らく抜くだけなのだろう。麻酔の注射をする資格はないだろうに、どうやって歯を抜くのか、ちょっと想像したくなかった。店主はニヤニヤしながら「お前の歯は大丈夫か」と聞いてきたので、口を固く閉じたまま首を横に振ると、店主も笑ってうなずいていた。
何だかんだと話が弾んだせいか、終わってみて鏡を見ると、髪は予想以上に短くなっていた。短くなった髪の両端は跳ね上がり、パイナップルの葉っぱのようになっていた。(ちょっとマズいかも)と思ったが、後の祭りだった。料金は日本円で100円ほどだった。
店を出てから、地元の若者達と知り合いになり、近くの安食堂で一緒に酒を飲んだのだが、近くの床屋で髪を切ってもらったことを話すと、彼らは私の髪形を改めて見て、失笑していた。
(一部省略)
新潟県 新発田北蒲原医師会報 令和7年7月号より


