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令和8年(2026年)3月5日(木) / 南から北から / 日医ニュース

おいしい、の手前で

 最近、家事がすっかり好きになった。掃除や洗濯も悪くないけれど、一番心が落ち着くのは台所だ。包丁を洗い、まな板にトントンとリズムを刻む。鍋の中で湯気が立ちのぼる時、仕事の緊張や時間の縛りから少しだけ解き放たれる気がする。料理というのは、誰かのために作っているようで、実は自分を癒やしているのかも知れない。
 『自炊者になるための26週』という本を読んで、著者・三浦さんの「かぶら寿司」の話に強く引かれた。能登の郷土料理で、ぶりを塩漬けにし、聖護院(しょうごいん)かぶらの薄切りで挟み、米と麹に包んで2週間待つ。大いなる手間の向こうに「一つ作ると2カ月幸せでいられる」という言葉があった。料理というのは、時間を待つ芸術でもあるのだと思った。火加減や塩加減だけでなく、「待つ」ことで完成する料理。発酵の神秘に耳を澄ます、悠久の時の流れにも似ている。
 そして、もう一つ印象に残ったのがトーストの話だった。三浦さんは「もっとしっかり焼いてください」と言う。焦げる寸前まで、パンの水分が蒸気になるのを待つ。割った瞬間にフワッと湯気が立ち上がる、それが本当のトーストの姿だと。焼きたてはすぐに食べる、たったそれだけのことで、朝の風景が少し特別になる。生活の中の小さな音と香りに意識を向けると、日常の解像度が上がるような気がする。
 一人娘が東京に出て6年、2人きりになった妻のために料理をすることが増えた。食べてくれた人の顔がほころぶ瞬間、純粋にうれしくなる。けれど、三浦さんが言うように、「作る人は、料理が出来上がるまでの全てを知っている」から、一番おいしいのは作り手自身だ。買い物の時に見る野菜コーナーの彩、まな板に包丁が当たる音、フライパンの油がはぜる瞬間、肉が焼ける香り。全てがその皿に積み重なっていく。
 食卓についた時、作った僕の心の中で祭りが始まっている。母もそうだった。家族で食事を始める時、必ず最初に「おいしいでしょ?」と言っていた。その理由がようやく分かる。料理は、味だけでなく、それまでのプロセスを味わうことなのだ。手と鼻と耳と目と舌、全ての感覚を使って作りあげた一皿は、誰よりも作った人の五感を満たしている。気付けば、キッチンに立つ時間が、僕にとってのスタジオなのか、まな板の音も、フライパンのリズムも、全てが一つの楽曲のように響く。料理は、暮らしの中の即興演奏? 誰かの「おいしい」に背中を押されながら、今日もまたフライパンの中で小さな音楽が鳴っている―そんな時間を、少しずつ好きになっている自分が、何だかうれしい。

新潟県 新潟市医師会報 NO.656より

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