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令和8年(2026年)11月5日(木) / 南から北から / 日医ニュース

海の上の医務室―銀河丸船医としての一カ月

 若い頃、私は船医として遠洋航海に同行するという、今思い返しても得難い経験をした。今回は、その時の航海報告と当時の日記を基に記憶をたどってみたい。
 長崎大学第一外科医局に所属していた平成12年11月からの約1カ月間、私は当時の運輸省航海訓練所の練習船「銀河丸(二世)」の船医として任命され、神戸港からホノルルを経て東京へ至る遠洋航海に参加した。この航海は、海員学校の実習生149名と乗組員・士官ら66名、総勢215名による船員養成のための実習航海であった。船内には医務室があるが、現在のような検査機器があるわけではなく、可能な医療は応急処置、小手術、投薬、点滴などに限られていた。医療体制は船医と看護長の2名であり、重症例が発生した場合には、陸上搬送の要否を判断することも船医の重要な役割であった。
 神戸港を出た直後の海はまだ穏やかで、私にも余裕があった。しかし翌日、外洋に出ると状況は一変した。波による揺れは予想以上に強く、起床後まもなく私自身が船酔いに悩まされることになった。実習生たちにも船酔いで受診する者が相次ぎ、数名には点滴治療を行った。ところが、点滴ルートを確保している私の方がむしろ吐き気をこらえているという、何とも情けない状況であった。幸いなことに、2日程経つと体は不思議と揺れに慣れてきた。看護長からは、過去には航海中ずっと船酔いが続き、嘔吐(おうと)しながら縫合処置をしていた医師もいたと聞いた。自分は比較的早く慣れることができ、本当に安堵(あんど)したことを覚えている。
 船内の日課は規則正しかった。起床は6時30分、消灯は22時30分。食事は7時30分、12時、17時で、夕食は陸上の感覚からすると早い。これは当直や交代勤務に合わせた船内生活のリズムであるという。食事は士官サロンで乗組員の方々と一緒に頂いた。蟹や海老など、思いの外豪華で量も多く、とても食べきれない程であった。夜間は当直担当者以外、各自ゆっくりと過ごしていた。部署ごとに焼肉やお好み焼きなどの催しがあり、船医である私も招待していただき、楽しい時間を過ごした。
 当時の銀河丸には、現在のようなネット環境はもちろん無い。外洋に出ると携帯電話もテレビ放送も届かない。港に近付くまでは、社会の情報から完全に切り離されたような状態であった。ただし、船内には遠洋船舶向けの短波で配信される「FAX新聞」があった。私たちはそれを読んで、外の世界の出来事を知ることができた。後にこのFAX配信も終了し、衛星通信のメール配信へ一本化されたと聞いた。時代の変化を感じずにはいられない。
 実習生たちは、当直業務を交代で行いながら、様々な実習に取り組んでいた。私も士官の案内で、その一部を見学させていただいた。特に印象的だったのは救助訓練である。落水者に見立てたブイを海上に投下し視認する訓練、そしてウィリアムソンターンと呼ばれる救助操船法を用いて、投下したブイの近くへ船を正確に戻す操船技術は見事であった。その他にも天測実習や、ブラックアウトを想定した実習など、内容は実に多彩であった。
 船医としては、実習生に対して船舶医療に関する講義を行い、定期試験での評価も担当した。船の上では、医療もまた実習の一部であり、安全な航海を支える大切な要素であることを実感した。
 航海中には、楽しい行事も多く用意されていた。日付変更線の通過時には、船長の合図で実習生たちが見守る中、制服に身を包んだ船医の私が汽笛を鳴らした。くす玉が割られ、ブリッジは一気にお祭り騒ぎとなった。海の上で日付が変わるという特別な瞬間を皆で盛大に祝ったのである。
 船上運動会も開催された。例年、仮装した船医と実習生がそれぞれ聖火点火と選手宣誓を行うことになっていたようで、私の仮装衣装も実習生たちによって既に準備されていた。笑いに包まれながら始まった運動会は、船上ならではの独特の盛り上がりを見せた。中でも印象深かったのは綱引きである。私も参加したが、単に力が強ければ勝てるというものではなかった。甲板は波のうねりで傾く。その傾きのタイミングをいかに味方に付けるかが勝敗を左右する。力とタイミング、船の揺れを読む感覚が必要で、陸上の綱引きとは全く違う面白さがあった。
 ホノルル港に入港した際には、幸い大きな医療対応で呼び戻されることもなく、現地でのレセプションに参加し、ホノルル観光も楽しむことができた。久しぶりに陸上を歩く感覚は新鮮で、改めて地面が揺れないことのありがたさを感じた。しかし帰路に出航し、再び外洋に出ると、強風と高波に見舞われた。実習生の船酔い、打撲などでの受診は再び増加した。
 帰路では釣り大会も行われた。南鳥島を2周する間、船尾から実習生と乗組員がトローリングラインを流し、釣果を競うのである。残念ながらマグロではなかったが、1メートル超えのサワラなど9匹が釣れた。その夜は、解凍ではない新鮮な刺身を味わいながら皆で酒を楽しんだ。遠洋航海ならではのぜいたくなひとときであった。
 この遠洋航海期間中、医務室を受診した患者数は延べ394名であった。多くは打撲、擦過傷などの外科系疾患と、上気道炎、船酔い、腹痛などの内科系疾患であった。幸い、緊急搬送や船内での手術を要する事態は無かった。
 一方で過去の別の遠洋航海では、虫垂炎患者が発生し、近隣国の医療水準が不明であったため、やむなく船内で手術を行った先輩医師がいたという。その時に乗船していた士官が今回の銀河丸にも乗っておられ、当時の苦労を聞くことができた。吸引器が無かったため、掃除機にバケツで手作りしたトラップ容器で対応し、その士官自身が術野展開のかぎ引き助手を務めたという話であった。
 その話を聞き、船医に求められるものの重さを改めて感じた。洋上では、外傷への即時対応、急性腹症の判断、限られた器具での緊急処置など、陸上とは異なる判断力と実行力が求められる。必要であれば、限られた環境の中で最善の医療を行わなければならない。乗組員にとって、「いざという時にメスを握れる医師が船内にいる」という事実は、大きな安心感であったに違いない。私自身も、外科医としての訓練が、この特殊な環境で大きな意味を持つことを実感した。
 昨今、様々な理由から外科を志望する医師は減少傾向にあり、外科医不足が危惧されている。しかし、外科医には、手術室だけではなく、このような非日常の現場でも人を支える力がある。遠洋航海での船医経験は、私にとって外科医という仕事の奥深さと魅力を再認識させてくれる貴重な機会であった。
 神戸からホノルルへ、そして東京へ。あの1カ月の航海は、今も私の医師人生の中で、ひときわ鮮やかな記憶として残っている。

佐賀県 医界佐賀 第1233号より

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