サー・マイケル・マーモット世界医師会(WMA)会長の講演会が9月5日、約300名の参加者を集めて、日医会館大講堂で開催された。 「健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health:SDH)」をテーマに講演したマーモットWMA会長は、健康格差は回避可能であるとして、それを引き起こす要因への医師の関与を求めた。 |
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「健康の社会的決定要因(SDH)」に関するマーモットWMA会長による一連の活動は、これまで、主に欧米、アフリカなど諸外国で行われてきたが、今回の講演会は、アジアにおいて健康の社会的決定要因に関する講演を行いたいとの同WMA会長の要望を受けて開催されたものである。
道永麻里常任理事の司会で開会。冒頭あいさつした横倉義武会長は、「世界的に著名なマーモットWMA会長を日医会館に招き、講演会を開催できることは大いなる栄誉である」と述べるとともに、「昨今、わが国でも相対的貧困が取り上げられている中、我々がこれまで十分配慮できていなかった健康の社会的決定要因について喚起して頂いたことは大変ありがたい。今回の講演を機に、健康格差の減少及び健康の不平等を改善する動きが日本においても醸成されることを期待する」とした。
続いて、マーモットWMA会長が、「健康の社会的決定要因」をテーマに、「健康の不平等、健康的な女性の生活(Health inequalities.Healthy women's lives)」と題して講演を行った(講演の要旨は下記参照)。
同WMA会長は、所得格差による健康格差について、収入が一定程度の水準に達するとそれ以上収入が増えたとしても、健康増進にはつながらないことを紹介し、「教育水準」「児童期の体験」等、収入以外がその要因になっていると指摘。
また、女性の健康については、中等教育以上を受けた女性と受けていない女性との間で乳幼児死亡率が明らかに違うことやドメスティックバイオレンス(DV)と児童期の逆境的体験の関連性についても言及。女性に対する教育の重要性を強調した。
その上で、同WMA会長は、健康格差は回避可能なものであるとするとともに、「医師は病人を治療するのが仕事であるが、人々を病気にしてしまうこれらの状況にも、医師にはぜひ関与して欲しい」と述べ、会は終了となった。
なお、当日の講演の模様は、日医のホームページで視聴可能となっている。
サー・マイケル・マーモット世界医師会長講演(要旨)
私が執筆した『THE HEALTH GAP』という本の中で最初に説いたのが、「せっかく病気を治した人々を、なぜその病気にした状況に送り返してしまうのか」ということです。
もちろん医師は病気を治療するわけですが、医師にはぜひ人々を病気にしてしまう状況にも対応してもらいたいと思っています。
日本における健康の不平等について見てみたいと思います。他の国では、低所得者が不健康になる確率は高所得者に比べて1・5~2倍はあると言われていますが、日本においてはあまり大きな差は見られません。しかし、そのような日本においても、65~69歳における機能障害の有無や有病率を見てみると、子どもの頃にどのような社会的・経済的状態にあったかによって、機能的な制約を受けやすくなるといったことが見られます。
また、日本においては喫煙率が高いと言われています。その原因としてはたばこの価格が低いことが挙げられますが、この価格の低さが、健康の社会的決定要因と言え、その改善が求められます。
よく言われていることに、「国として豊かにならなければ健康になることができないのか」という話がありますが、非常に貧しい国以外では必ずしもそうとは言えません。
一人当たりの購買力が1万3000ドルぐらいのキューバやコスタリカ、チリといった国と、7万ドルのルクセンブルクのような国を比べてみますと、そこには健康における差は見られません。いったんコスタリカぐらいの水準に達してしまうと、一人当たりの購買力が増えても、平均余命は延びないのです。
つまり、いくら経済的な成長をしたとしても、健康は約束されるわけではないということです。健康であるか否かを決めるのは、収入以外の社会的な要因なのです。
例えば、5歳以下の乳幼児の死亡率を見てみますと、世界中で低くなっていますが、その一番の原因としては、女性に対する教育が進んだことが挙げられます。女性への教育を世界的に改善することができれば、女性の健康障害や乳幼児死亡率の改善にもつなげていくことができるのです。
次にDVと児童期の逆境的な体験の関連性について、お話をしたいと思います。
イギリスの大人100名を対象とした調査によると、DVや両親の離婚など、逆境的な体験を4種類以上経験したことがある人は、人口の約9%いました。4種類以上のこうした体験をしている人は、過度な飲酒をする確率が約2倍になることが分かっていますし、喫煙率も約3倍に、10代で妊娠してしまう確率も上がってくると言われています。このような状況を放っておいて良いのでしょうか。
このようなことを社会的な行動をとることで避けることができれば、10代の喫煙や飲酒、妊娠を避けることができますし、犯罪の加害者になることも50%削減することができると言われています。また、教育レベルを高めることによって、DVの被害にさらされることも減りますし、加害者になることも防ぐことができると言われています。
我々医療従事者は、そうしたことに関わるべきなのです。医師は、病気を治すことに加えて、人権の尊重、少年少女に対する教育、弱者の特定とその保護、司法・警察へのアクセスの確保等にも関与できると私は考えています。
全ての社会に格差は存在しているため、健康における格差もある程度存在するわけですが、その度合いは国によって違ってきます。その格差を是正する方法というのは、どれだけ国の予算を社会保障に当てられるかにあるということは既に明らかになっています。
私は、そこへの介入の方法には、①全ての子どもに最善の人生のスタートをしてもらう②全ての人に生涯を通じての学習と教育の場を提供③全ての人に公平な雇用と良質な仕事を提供④全ての人に健康な生活水準を確保⑤健康で持続可能な地域社会の構築と発展⑥疾病予防の重視と強化―の6つがあると考えています。
私が言いたいことは、健康を増進し、その格差を是正するための方法は、既にはっきりと分かっているということ、そして、健康格差はなくすべきものであり、回避可能でもあるということなのです。
最後に、皆さんに3つの言葉を贈りたいと思います。健康の社会的決定要因に対して、何もやっていないのであれば、少しでもやってもらいたい(Do something)。少しでもやっているのであれば、もう少し拡大してやってもらいたい(Do more)。うまくやっているのであれば、それを更に進めて欲しい(Do better)。本日はありがとうございました。
1945年生まれ。2010~2011年イギリス医師会長を務めた後、2014年10月のWMAダーバン総会においてWMA次期会長に選出され、翌年10月のWMAモスクワ総会で現職に就任した。
2000年には、長年にわたる健康の社会格差、健康の不平等に関する疫学研究における多大な功績が称えられ、エリザベス女王よりSirの称号を授与された。