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平成29年(2017年)6月5日(月) / 日医ニュース

年末だけではない第九

 家内と会津へ旅行した時に、白虎隊記念館で幕末の戦いで敗れた会津藩士を父に持つ松江豊寿(元陸軍少将、1872年生まれ)に関する展示を見た。
 幼少時から父を通して敗者の痛みが身に染みていた松江であったが、現在の徳島県鳴門市に設営された板東俘虜(ふりょ)収容所の所長に任命されたのが1917年である。そこには第一次世界大戦で中国から移送された1000人を超えるドイツ兵捕虜が収容された。
 松江所長は、捕虜解放までの約3年間、敗者の持つ誇りや心情を重んじ、会津藩の礼節をもって人道的に捕虜を扱ったが、この記念館の展示を見ても地元会津で尊敬の念を持って讃(たた)えられていることを知った。
 ドイツ兵捕虜には一般人が多く、母国ではおのおの職業を持っていた。彼らは比較的自由に外出が許され、地域の人々に土木・農業技術の他、ソーセージやパンの製法など多岐にわたる文化を伝えた。中でも彼らが日本を去る時、松江所長と地元の人々へ感謝の気持ちを捧げるために演奏したベートーヴェンの第九交響曲はその象徴であった。
 ベートーヴェンがロンドンの音楽協会から委嘱を受け第九を本格的に書き始めたのが1817年といわれ、その百年後にドイツ人捕虜によって日本に第九が伝えられ、これが本邦(アジア)初演となり、今日まで百年が経過した。
 国民は国家に翻弄されるが、敵味方誰もが戦争を望まず平和を愛していることを、松江所長と板東俘虜収容所に教えられるとともに、楽聖ベートーヴェンが決して遠い時代の人でない気がしてくる。

(パパゲーノ)

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