福島市でお世話になり、早くも15年が経過しました。これまでは東京や千葉の病院に勤務し、定年を迎えました。病院勤務時代は成人の外科や小児外科を専攻していました。
何十年か前のある日のこと、救急車が生後2日の男児を搬送してきました。呼吸困難、チアノーゼが主訴でした。患児が乳児や新生児の場合、1枚のレントゲンフィルムに胸部と腹部が同時に写るよう撮影していますので、この1枚で診断がつきました。"横隔膜へルニアのボホダレク孔へルニア"だと判明しました。先天的に横隔膜に開いている孔(あな)を通して消化管が左の胸腔内に入り込み、左肺の拡張を妨げ呼吸困難を発生させるものでした。緊急手術をして、無事終了しました。
患児の母親は産後とのことで、父親とばかりコンタクトを保っておりました。抜糸も終わり、ミルクの飲み具合も良く、排便も順調で無事退院されました。
次の年の正月、茨城県に住む父親から私宛ての年賀状が病院に届けられました。その患児の近況が書き添えられてあり、ほんの短い文章でしたが私なりにうれしく読ませて頂きました。この年賀状に対して返事を書かせて頂いたことがきっかけで、父親から毎年年賀状が届くようになりました。
1歳の誕生日を迎えたこと、幼稚園に入園したこと、小学校に入学したこと等々が書き添えられるようになりました。成人式を迎えた時は、見合い写真にも匹敵するくらい立派な写真が手紙と共に送られてきました。更に大学を卒業し、就職も決まったという知らせも後日届きました。しかし、ご本人からの手紙は一度も頂いたことはありませんでした。
時は流れ平成30年元旦のこと、何の前触れもなく突然私の千葉県柏市の自宅にご本人が訪ねて来ました。私は仕事で福島に留まっておりましたので、家内が対応しました。こんなことがあって以来、私は本人と電話で話をするようになりました。本人の希望は"私にぜひ会いたい"というものでした。私は電話越しに「今、何歳になったの?」と尋ねると「39歳」という返事が聞こえました。私はそれを聞いてから40年前を振り返ってみました。
小児外科で扱う症例はそけいへルニアが圧倒的に多く、一つひとつの症例については全く記憶していません。今回のこのような症例では手術に至らず命を落とすことが多いのではないかと思います。産科の先生の判断により、救急車で紹介頂いたことが救命し得た理由の一つと思っております。
術後40年が経過し、自分を担当した医師がどんな人間であったのか、本人から見れば大変興味のあるところだと思います。私は1週間のほとんどを福島で過ごし、彼は東京で仕事をしていて、しかも出張が多いとのことで面会の時を合わせるのに苦労しました。私は私なりに彼がどんな40年を歩んできたか興味津々でした。
双方の時間の都合がやっと一致し、面会することができました。本人は30歳まで大学に残り、工学博士号を取得したこと、現在は自分の好きな分野で仕事をしていること等を語ってくれました。「これも命を救ってくれた先生のおかげです」と言い、何度も何度も頭を下げていました。
間もなく私の医師としての生活が終わろうとしています。反省すべき点も多々あると思いますが、他の人に何らかの良い印象を残したことに対し『医師としてこれで良かったのか』と思っているところです。(一部省略)