これは、私達家族とぺットとの話である。こう書くと一体どんなすごい、あるいは珍しいペットかと思われるかも知れないが、ある意味では当たらずとも遠からずと言ったところであろうか。紹介しよう、"ケロタン"、アマガエルである。
それは、十数年前、当地へ越して来る年の夏のことである。妻の「カエルがいる」に始まる。洗濯物を干している時に発見した。アパートの2階まで登って来て、ちょこんと座っているその小さな訪問者に私達は気を留めたのであった。観察を続けると大体同じ場所にいた。ベランダの隅のエアコン室外機のホース辺りが気に入ったらしい。
今日はいないのかと半ば諦めて探していると、見過ごしてしまいそうな室外機のファンの中にいてホッとした。数日見掛けないと、車にでもひかれてしまったのではないかと心配したが、ひょっこり戻って来ていて、一喜一憂の日々が続いた。
見つけたのが夏だったこともあり、お節介にも背中にそっと水を掛けてやったりした。カエルは水辺にいるイメージから、トレーに水と浮草を入れ置いていたが、なかなか入ってくれなかった。たまに浸かっていたりすると私達はニンマリした。わが家に棲(す)みついている!
ケロタンに和ませられ穏やかな日々を送っていた私達であったが、困ったことが起きた。引っ越しである。ケロタンお気に入りの室外機も持って出ていかねばならず、どうしたものかと迷った。引っ越しの数日前、緑の葉茂る植木鉢を置いてライトアップした。もしそこに来てくれれば、植木鉢ごとケージに入れて連れて行こうと決めた。そうしてケロタンは私達と共に引っ越し、わが家の一員となったのだ。
秋、無事当地へ越してきた。今までとは異なりケージの生活となった。ケロタンの新居は、一緒に越してきた植木鉢、シェルターと呼んだプラスチックの管と風呂にしたトレーの水場で構成された。シェルターでは灰色に、植木鉢の葉っぱでは緑色に上手に変色して隠れるように佇(たたず)んだ。水分は口からではなく、風呂に入って皮膚から吸収することも知った。
夕暮れになると、固まった体をほぐすようにクネクネ体操を始める。くっついた口もあくびのような動きをする。これで準備完了である。フンをして軽くなった体で動き出す。夜になると「出してくれ」と言わんばかりに暴れる日もあった。
難題は餌の確保であった。餌探しを兼ねた新居周辺の散策であったが、大人2人が草むらを何やら探す怪しい動き。「アマガエルを飼っている」とは言い難く、人に声を掛けられても話題を振られぬよう先回りする妻。そのうちに、まるでコオロギ畑のような場所を見つけホッとしたのが正直なところであった。
やがて寒くなり、コオロギや小虫もいなくなった。餌用の虫が販売されていることを知り、通販でコオロギを購入した。一番小さなサイズを選んだが、ケロタンにはそれでも大きかったのか、苦しそうに押し込んで食べていた。
そのうち本格的に寒くなって、活動、食欲が落ちてきた。冬眠? 植木鉢の土に潜るかと思いきや、ケロタンはシェルターでほとんど眠っていて、週に1回くらいは起きてきて眠気眼(まなこ)で風呂に浸かっていた。傾眠傾向で餌はほとんど食べなかったが、無事寒い冬を乗り切った。そんなこんなで、何とかなると私達も自信がもてた。
春になり暖かくなると、ケロタンの活動と食欲が回復した。また餌探しの日々が始まった。名も知らぬ虫ばかりであったが、その時期に応じて多種多様な虫が窓や灯りに集まっていた。アマガエルは死んで動かなくなった餌は食べない事も知った。ぜいたくにも新鮮な物しか食べないのだ。
虫捕りと餌やりのコツをつかんだ。それでも餌探しは大変だった。子どもの散歩で一石二鳥と思いきや、近所の人は子どもによく声を掛けて下さる。子どもの成長に合わせて隠しきれなくなった。しかし、ばれてしまうと気持ちは楽になった。子どもも幼稚園で先生にしっかりと話していたようだ。ケロタンは家族だから、当然のことだったのだろう。
愛くるしい姿と行動に癒されたケロタンとの共同生活は、およそ7年続いた。そして今、わが診療所は「カエルさんのびょういん」と小さな子ども達に呼ばれている。開業する際、迷わず決めた。「元気になってカエル」との願いを込めて、診療所の看板にはカエルがニッコリしている。もちろん、それはわが家のケロタンである。
(一部省略)
福井県 福井県医師会だより 第689号より