令和2年(2020年)1月20日(月) / 日医ニュース
東京オリンピック・パラリンピックを世界中の選手達が最高のパフォーマンスを発揮する史上最高の大会に
新春対談 横倉会長・山下日本オリンピック委員会会長
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東京オリンピック・パラリンピックの開催を間近に控えた今年の新春対談には、山下泰裕日本オリンピック委員会(JOC)会長をお迎えし、横倉義武会長とオリンピック・パラリンピックに向けた思いや、スポーツのもつ力などについて話をしてもらった(昨年11月20日、JOC会長室にて実施)。 |
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横倉 本日はお忙しいところ、ありがとうございます。
私も学生の時にラグビーをしていたりと、運動が好きなものですから、『日医ニュース』の新春対談では、これまで多くのスポーツ選手と対談してきました。今年はオリンピックイヤーでもありますし、ぜひ、山下会長と対談したいと思っていましたので、大変うれしく思っています。
山下 こちらこそ貴重な機会を頂きまして、ありがとうございます。
オリンピック・パラリンピックが一体となった開催を目指す
横倉 さて、いよいよ東京オリンピック・パラリンピックの開催が近づいてきたわけですが、JOC会長としての意気込みなどをお聞かせ頂けますか?
山下 東京オリンピック・パラリンピックの開催に当たって、一番申し上げたいことは、今回の大会はオリンピックとパラリンピックを一体で行うということです。
パラリンピックは、これまで、国あるいは社会からあまり支援というものがありませんでした。しかし、今回の大会では初めて、オリンピックとパラリンピックで同じユニホームをつくりますし、大会が終わった後は一緒にパレードも行う予定としています。またパレード後には、それぞれのスポンサーを集めて、感謝の集いも行いたいと思っています。
そういう意味では、"健常者も障がい者も関係なく、我々は仲間だ、我々は兄弟だ。一緒に力を合わせて東京オリンピック・パラリンピック2020を成功させよう"という雰囲気を高めていきたいと考えていますし、各競技団体の皆さんにも、弟や妹の面倒を見るつもりで、押しつけではなく、パラリンピックに参加する方々が求めているものがあった時にはぜひ、その手助けをしてあげて欲しいと思います。
横倉 前回1964年に東京でオリンピックが開催された際には、パラリンピックは国民にあまり認識されていませんでしたよね。
山下 そうですね。当時の参加者は、戦争で負傷した軍人の方々が中心で、障がいのある方達が人前に出てスポーツをやるということに対しても抵抗があったようです。
しかし、勇気をもってパラリンピックに出場して頂いたおかげで、今、障がい者の方々もスポーツに親しむことができるようになったわけで、深く感謝しています。
横倉 オリンピック・パラリンピックを一体で行うという、山下会長のお考えは素晴らしいことだと思います。山下会長がパラリンピックをこのように重視されるようになったきっかけのようなものがございましたら、教えて頂けますか?
山下 私には子どもが3人いるのですが、次男が自閉症で知的障がいがあります。今、30歳で大変幸運なことに、そういったことに理解がある職場に勤めておりますが、そういう知的障がい者が身近にいたということが大きいと思います。
次男が生まれる前、私は結果を求めてばかりで、選手達や学生達が結果を出さないと、「君は真剣にやったのか」「君の目標は明確だったのか」「自分に負けていたんじゃないのか」とつい言ってしまっていました。
幸いなことに私は、自分が努力したことが全部報われた人間でした。それは私だけの力ではなく、素晴らしい指導者、そしてさまざまな人々の支えがあったからこそできたことであったのに、昔はそのことも理解できず、単に明確な目標をもって、自分に妥協せず、真剣に取り組んでさえいれば、必ず結果は出せるものだと思っていたのです。
しかし、自分の子どもが障がい者として生まれ、どんなに努力してもできないことがあるけれども、その子なりに確実に成長していく姿を見て、私の考えは大きく変わりました。
今回の東京オリンピックが終わった後の報告会では、そのメインテーマを「オリピックからパラリンピックへ」としています。
ぜひ皆さんには、オリンピックが終わったからといって、これで終わりと思わずに、「さあ、これから皆でパラリンピックを盛り上げていこう」という気持ちで、パラリンピックも楽しんで欲しいと思います。
横倉 私は、パラリンピックの試合はテレビでしか見たことはないのですが、車いすバスケットやラグビーなどでは激しいぶつかり合いもありますし、パラリンピックの選手の頑張りを見ますと、オリンピックと違った感動が沸き起こってくるような気がします。ぜひ、楽しみにしたいと思います。
日本での障がい者を取り巻く環境は、建物や交通機関など、ハード面では改善されつつありますが、他の先進国に比べればまだまだ十分ではないですし、ソフト面、つまりは心のバリアフリーももっと進めていくべきだと思っています。これからパラリンピックに向けて、その意識が広げられるようにしていきたいですね。
山下 そうですね。ありがとうございます
横倉 パラリンピックでいえば、参加する選手を発掘することも大きな課題であると聞いています。日医としても障がいをもつ方々が医療機関を受診された際などにスポーツを始めることを、会員の先生方から呼び掛けてもらえるよう、引き続き、努めて参りたいと思います。
山下 よろしくお願いします。
選手には自身の夢のために戦って欲しい
横倉 私達はどうしても、日本は金メダルをいくつ取れるのだろうかということに関心がいってしまうのですが、金メダルの目標数のようなものはあるのでしょうか?
山下 私はJOCの会長になる前には、JOCの選手強化本部長を務めていたのですが、その際に、これからオリンピックまでの間にできる最高の準備をして、選手達が最高のパフォーマンスを発揮したとしたら、どれぐらいの結果が得られるのか、各競技団体と細かく詰めさせて頂きました。
その結果を基にはじき出した目標が、金メダル30個というものです。
横倉 4年前のリオデジャネイロオリンピックでの日本の金メダルの獲得数は確か12個でしたので、倍以上ですね。でも地元開催で、日本の皆さんの熱い声援があることを考えると、もっと金メダルが取れるのではないかと思ってしまうのですが、あまり期待し過ぎてしまうと選手達が可哀想ですかね。
山下 いえいえ。人生において何が一番つらいかというと、自分が価値あることをやっていると思っているのに、周りから期待されない、評価されないということだと思うのです。ですから、選手達にとって、期待されることは良いことだと思います。
しかし、選手達はプレッシャーなんて一切感じる必要はないと思っています。いきいきと、のびのびと、はつらつと、それぞれの夢に挑戦して欲しい。自分を信じて、やってきたこと、仲間、先生を信じて、そして果敢に勇気を持って自分の夢にチャレンジした人間だけが、その夢を現実にできると思うのです。
なぜ私がこのようなことを言うかと申しますと、1984年のロサンゼルスオリンピックの際に、皆さんからは、ありがたいことに、「山下の金メダルは99%間違いない」とか、「山下は最低でも金メダルだ」とか、「負けるわけがない」と言って頂いていました。
横倉 私もそう思っていましたよ。
山下 そんな状況の中で、うまく表現できないのですけれども、それまでの世界柔道選手権大会では、「負けられない」「日本柔道を背負っているんだ」といった重圧を感じていた私が、ロサンゼルスオリンピックの時には、日本のためでも、日本柔道のためでもない、自分の夢のために、夢の実現のためにチャレンジしたい、そんな気持ちになれたのです。けがをしてしまい、苦しい試合だったのですけれども、そういうふうに思えた自分を、なぜか誇らしく思うのです。
ですから、私は選手達に、「いくら期待されてもいいじゃないか。でも、やるのは他の人のためじゃないぞ」と言ってあげたいと思います。
横倉 自分のためという気持ちが大事だということですね。
山下 はい。国のためでもない。己の夢への挑戦として、果敢に挑戦して多くの大輪の花を咲かせて欲しい。
我々の金メダル30個という目標の前提条件は、選手達がいきいきと、のびのびと、そしてはつらつと、果敢に自分で挑戦して初めて可能になってくるのであって、それが負けられないとか、負けたらどうしようとか、国民の期待に応えなければいけないなんて思ったら、とてもじゃありませんがその目標を達成することはできません。
また、ひたむきに戦う姿が多くの国民の皆さんに力を与え、そして感動を呼ぶことにつながっていくと思っています。
勝負にこだわらないスポーツ
横倉 ここで少し山下会長の個人的なことについても話をお聞きしたいと思うのですが、山下会長の柔道との出会いはいつ頃だったのでしょうか?
山下 小学校時代は遊びの延長としてやっていたのですけれども、本格的に柔道を始めたのは中学生の時からです。その時の恩師との出会いが私に大きな影響を与えてくれました。
その恩師が我々に繰り返し教えておられたのは、「道場と日常生活、道場と人生というのはつながっているんだ。柔の道、柔道というのは、そこで学んだこと、体得したことを日常生活や人生で生かしていくからこそ道であって、生かせていなかったら、柔道であっても柔の道じゃない」ということでした。
また、その恩師は、「皆が道場で大事にしていることを、普段の生活でも大事にしていくことができたら、たとえ柔道でチャンピオンになれなくても、人生の勝利者になれる」ともおっしゃっていました。
その話をお聞きして、私は柔道でのチャンピオンだけでなく、人生のチャンピオンを目指すのだったら、やはり勉強も頑張らないといけないと思うようになり、一生懸命に取り組むようになりました。
そういう意味で、スポーツの指導者が何を語るかということは非常に重要ですし、私は柔道に出会ったことで人生が変わったと言えます。どんな競技であれ、スポーツにはそのような力がありますし、やはりスポーツはこうあるべきだと私は思います。
勝った、負けたはもちろん、うまくなることも大事でしょう。しかし、JOCの初代会長であられる嘉納治五郎先生が目指したのは、スポーツを通じた人間教育だったと思うのです。今、世の中は非常に近視眼的になっています。スポーツの世界でも、目先の試合で結果を出した選手や指導者が評価されます。そして親も、あるいは学校も、周りもみんな結果を見てしまう。
ですが、スポーツを熱心に指導されている方々には、ぜひ目先の勝利だけじゃない、それよりも子ども達の幸せ、人生の勝利ということを考えて頂きたい。
そして、多くの子ども達にも、さまざまなスポーツと出会うことで人生を豊かにし、心も体もいきいきと、そして相手の立場を思いやって、仲間と力を合わせるような人間に育っていって欲しいと思います。
横倉 素晴らしいお考えですね。JOCの会長は、ある意味で日本のスポーツ界のトップですから、そういう方がこのような考え方の下でしっかりと全国の子ども達を指導する人達に声掛けして頂ければ、日本の国の未来は必ず明るいものになると思います。
山下 JOCの一番の役割は、夏冬のオリンピックを中心とした総合的な国際スポーツ競技大会に選手を派遣して、そこで素晴らしい成績を上げてもらうことですから、私がこういうことを言うと、それはJOCの会長が発言することではないと思われる方もいるんです。
横倉 そうなんですか。
山下 もちろん世界で勝つこと、東京オリンピック・パラリンピックで多くの国民に感動を伝え、勇気や誇り、あるいは自信をもってもらう、その大事な役割に対して、少しも手を緩める気持ちはありません。
しかし、スポーツの魅力というのは、それだけではない。今、日本で心が病んでいるのは子どもだけでなく、大人にも多く、優秀な成績で大学を出て、人がうらやむような職場に就職しても、人間関係などで非常に疲れ果てて、会社に行けなくなる方もいると聞いています。
横倉 おっしゃるとおりで、その人達をどう社会に復帰させるかが大きな課題になっています。
山下 人間は本来、やはり体を動かしたいという欲求があるはずです。楽しく、自分に無理なく体を動かせれば、ストレスも発散されるし、気持ちもいい。実は、今朝も45分間裏山に登ってトレーニングしてきたんですけれども、体がスカッとするだけじゃなくて、気力も湧いてくる。
横倉 私も家の周りを朝、散歩しているのですが、頭もスカッとしますよね。
山下 そうなんです。また、スポーツを仲間と一緒にやると、特に子ども達は仲間と協力し合うことで、その仲間がどう考えているのかや何を求めているのかを考えたり、あるいは何かをうまくやるためにあえて自分が犠牲になってみるとか、何かを成功させるために陰で支えていく。それから、ノーサイドの精神じゃないですが、やはり戦う相手に対してのリスペクトのようなものが学べると思うのです。
日本では、スポーツをするとどうしても、勝ち負けを一番に考えてしまっている。勝たなければいけないということがまず来るので、スポーツがすごくつらいもの、苦しいものになってしまう。ヨーロッパ、アメリカなどに行くと、勝ち負けなんか度外視して、スポーツそのものを楽しんでいます。
横倉 私も、世界医師会長として世界各国を訪れましたが、そのことを強く感じました。やはり、スポーツの楽しさというものを広めることが大事になりますね。
山下 はい。嘉納先生がなぜ、大日本体育協会をつくり、オリンピックに選手を派遣したのか。それにはスポーツを普及させていくことが、日本国民の活力と幸せにつながるのだとの思いがあったからだと思うのです。
ぜひ、皆さんには何の競技でも構いませんので、スポーツを始めて欲しいと思います。
横倉 現代の子ども達は家でゲームなどをやっていることが多く、筋力が弱って、床から立ち上がることができない子が増えており、大変心配しています。また、日本は超高齢社会となっていますが、いかに健康寿命を延ばすかも大きな課題となっています。
山下 80代になっても、90代になっても、自分らしく、いきいきと生活できるという意味からもやはり体を動かすこと、運動することは大事になると思いますが、幸いなことに、最近ではスポーツジムに年配の方々も多く来られていると聞いています。
横倉 そこで、年配の方々同士でコミュニケーションが取れれば、友達もできますし、仲間が増えるというのは大変いいことですね。
山下 そういう意味では、老いも若きも、忙しい大人も、さまざまな障がいをもった人達も、皆がスポーツを始めたいと思った時に気軽にできる社会を構築していくことが大事であり、JOCとしてもその活動を続けていきたいと思います。
横倉 ぜひ、お願いします。今回の大会がきっかけとなって、多くの方がスポーツを始めようと思ってくれればいいですね。
話は少し変わりますが、山下会長は長年のスポーツ界に対する貢献が認められ、ロシアのプーチン大統領から「名誉勲章」を贈られることになったとお聞きしました。誠におめでとうございます。
山下 ありがとうございます。数年前に一度、「友好勲章」を頂いたのですが、今回またその上の「名誉勲章」を頂けることになりました。
横倉 プーチン大統領とは親交が深いとお聞きしましたが。
山下 はい。一緒に柔道着を着て子ども達に指導したこともあります。もう30回近くお会いしていて、一緒に食事をしたことも何回かあるのですが、まあ、びっくりするぐらい柔道が好きなんです。
プーチン大統領は柔道について、「単なるスポーツじゃない。私も小さい頃は素行が悪い人間だったが、柔道と出会って変わったんだ。柔道というのは教育的な価値が高くて、柔道で学んだことが今の自分の政治家としての活動に生かされている」とおっしゃっていました。
横倉 プーチン大統領が、山下会長にこれほどまでに親しみを持たれるのは、同じ柔道家であるということだけではないような気がしますが。
山下 そうですね。プーチン大統領に柔道を教えた指導者はアナトリー・ラフリン氏だったそうですが、その方が国際大会などで、私の戦う姿や相手をリスペクトする姿勢を尊敬の念を持ってよく見ておられたらしいのです。
そして、そのことをプーチン大統領だけではなくて、自分の道場の教え子達に対して話しておられたために、プーチン大統領も私に以前から非常に親しみを持っていたと言っておられました。
オリンピック・パラリンピック成功のため会員の先生方の協力を
横倉 ありがたいことですね。最後になりますが、オリンピック・パラリンピックを間近に控え、我々医師に期待することがございましたら、教えて頂けますか?
山下 さまざまな競技で多くの医師会の先生方にお世話になると思いますが、何卒ご支援、ご協力をお願いしたいと思っています。
オリンピック・パラリンピックは国家的なプロジェクトですが、医師の方々、ボランティアの方々、それからさまざまなスポンサーの方々などの力がなければ成功することはできません。
私は、ぜひ世界中から集まったアスリートや関係者、そして応援に来られた方々が、「ああ、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会は、感動的だったな」「素晴らしい運営だったな」と思って頂きたいですし、「やはり、日本の国民の皆さんのホスピタリティ、おもてなしは最高だな」「日本という国は、素晴らしい国だな」、そう思ってもらえるような大会にしたいと思います。
ですから、国民の皆さんにも、この大会期間は、いろいろな意味で不便をお掛けすることがあるかも知れないですが、外国の方々が少しでも気持ちよく生活できて、日本という国を正しく理解してくれるように、ご協力頂ければ幸いです。そして日本の選手達だけでなく、世界中の選手達が最高のパフォーマンスを発揮する史上最高の大会にするために、医師会の先生方にはぜひ格段のご協力を頂きたいと思います。
横倉 マラソン、競歩は札幌で開催されることになりましたが、暑い時期の開催ですので、選手のみならず、観客の皆さん、ボランティアの方々の暑さ対策を心配しています。その対策の充実に引き続き取り組んで参りたいと思います。
また、外国の方々もたくさん来日されますので、感染症対策も重要になると考えており、風しんや麻しんなど、ワクチンで防ぐことができる病気に対しては、国民に予防接種を呼び掛けていきたいと思いますし、多くの人が集まることで思わぬ事故が起きることもありますので、引き続きマスギャザリング対策にも取り組んでいきたいと考えています。
山下 ぜひ、よろしくお願いいたします。
横倉 本日はありがとうございました。
山下 ありがとうございました。
山下 泰裕(やました やすひろ) (公財)日本オリンピック委員会会長 1957(昭和32)年熊本県生まれ。1984年のロサンゼルス五輪で柔道無差別級の金メダルを獲得し、国民栄誉賞を受賞。世界選手権3連覇、全日本選手権9連覇、1985年の引退時まで203連勝など、数々の偉業を打ち立てた。現役引退後、母校で教鞭を執り、2011年東海大学副学長に就任。2017年には(公財)全日本柔道連盟理事、副会長を経て、同連盟の会長に就任。また、同年には日本オリンピック委員会選手強化本部長にも就任し、2019年6月からは同委員会の会長を務めている。 |