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令和3年(2021年)3月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

ロックとギターと単純な私

 私は中学、高校、大学とひたすらバンド活動(ロック)に明け暮れていました。小学5年生頃より、兄の影響で始めたギター。中学生になって「ディープパープル」というバンドのギタリスト、リッチーブラックモアの早弾きに憧れ、ひたすら練習。高校時代も文化祭や、学校に内緒(?)でライブ活動。大学では全学の大きなバンドサークルに入り、4年間は医学部の勉強そっちのけ(?)で、経済学部や教育学部の仲間達とバンド活動に明け暮れました。大学卒業後は仕事が忙しく、時々弾く程度でギターと離れた生活を長く送っていました。
 数年前、東京で眼科医会の代議員会議に出席した際、福岡の眼科の先生達に赤坂の生バンド演奏があるロックバーに誘われ、久しぶりに私のギターへの血が騒ぐこととなります。
 そこは飛び入りで演奏ができるバーで、学生時代にディープパープルなんかやっていたことをマスターに言うといきなり誘われ、ハイウェイスターという僕らの世代のギター小僧なら、ひたすら練習した曲のギターを演奏させて頂きました。中学、高校、大学と何度も弾いてた曲ですので、およそ30年ぶりのステージでしたが、飛び入りでも何とかこなすことができました。
 それでいい気になった私はその1カ月後に家内と東京に行ったついでに、そのロックバーを再び訪れました。
 しかし、その日のステージで撃沈することになります。とにかく弾けませんでした。バンド活動などされたことがあればお分かり頂けるかとは思いますが、大音量でドラムなどの楽器と演奏すると自分の音がかき消されるし、またちょっとしたミスタッチがとんでもなく目立ったりします。とにかくその日のステージは撃沈でした。
 長崎に戻ってからも、その撃沈した精神的ダメージが強く、数日は立ち直れませんでした。そこでリベンジするための計画を立てました。まず、とにかくギターの基礎から練習をやり直すこと。演奏できる曲を完全にコピーし、そのレパートリーを増やすこと。大音量に慣れるため、楽器店のスタジオをお借りして、大音量でデモテープを流しながらの練習も取り入れること。本番はマイギター、マイエフェクター装置(エレキの音を変える装置)を東京まで持参すること。
 1カ月間ひたすら練習し、久しぶりに指先にギターダコができ、それが潰れ、痛くて診療にも影響が出ていましたが、最終的にディープパープル、ヴァンヘイレン、レッドツェッペリン、イーグルス、サンタナなどの代表曲10曲を完全コピーしました。以前はカセットテープをひたすら繰り返して聞いてコピーしていましたが、今はYouTubeで素人の方達がたくさん演奏をアップして、演奏の解説などもあり、また、曲のキーを変えずにテンポを落として聞くことができる装置もあり、とても便利な時代です。
 リベンジする日はロックバーのマスターに前もって連絡し、宿泊もそのバーのすぐ近くのビジネスホテルを予約。土曜の忙しい午前の外来が終わってから、一人でギター道具を抱えて、空路東京へ向かいました。
 その夜はとても楽しく有意義な時間になりました。マスターも長崎からわざわざ出掛けてきた私に気を遣ってくださり、たくさん演奏させて頂きました。やっぱりロック最高です。セミプロなメンバー達とお腹いっぱい演奏し、とても幸せな夜でした。自分でも何でここまでしているんだろう、単純で馬鹿な男とは思いましたが......。
 長崎に帰ってからは、こちらでも演奏したくなり、以前の仲間などと連絡をとったりして、バンドを結成し、現在に至っています。パワフル女性ボーカルの邦楽ロックバンドです。ちなみにキーボード担当は学生時代、別のサークルでキーボードを担当していた私の家内です。これからも音楽活動はずっと続けていきたいと思っています。
 この原稿を書いている時点で、コロナ禍、真っ只中。あのロックバーは現在休業になっていて、とても心配です。また長崎のバンドメンバーでも集まっての練習はできません。早く終息して、みんなで楽しい演奏ができる日が来ることを願っています。

長崎県 長崎市医師会報 第641号より

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