アメリカの現代女性作家エレン・ペリー・バークリーが、猫についてこう語っています。「猫を飼っているオーナーの誰もが知っているとおり、誰一人として猫を自分のものにすることはできない」。
これはまさに、猫好きの人間からすると「言い得て妙」の格言です。猫はいつだって自分に正直で、自由に伸び伸びと世界を生きており、誰にも従うこともなく、そして「誰をも従わせてしまう」生き物なのです。
振り返ってみますと、レオナルド・ダ・ヴィンチも(「猫はこの世の最高傑作である」と発言)、アイザック・ニュートンも(稀代(きだい)の猫好きで、世界初となる猫専用ドア・キャットフラップを発明)、葛飾北斎も(常に猫を抱いて絵を制作)。猫はすっかり彼らを"下僕"にしてしまいました。私も完全に彼らの罠に掛かり、気が付けばスコティッシュフォールド3匹をこよなく崇(あが)める下僕状態となっています。
諸説ありますが、猫が人のペット・家畜となったのは9500年前で、犬は約1万5000年前だそうです。犬について、ユーモア作家ジョッシュ・ビリングスは「犬はこの地球上で唯一、自分自身を愛する以上にあなたを愛してくれるものだ」と語りました。猫は自分を愛する生き物ですが、犬は飼い主を愛する生き物だというわけなのです。このような笑い話もあります。「エサをくれる目の前の人は神のようだ」と考えるのが犬、「エサをもらえる私はきっと神のような存在なのだ」と考えるのが猫、なのだそうです。
実は私は、完全に犬派であった人物です。幼少時代に拾ってきた犬を飼ったことに始まり、本当につい最近まで、私は猫という動物に何の興味も持ちませんでした。これはどうやら、世代の教育に関わるものだと思っています。私が小さな頃に猫について学んだ知識や映像は、「化け猫」「猫は懐かない」「猫は自分勝手」といった気味の悪い畏怖(いふ)のイメージばかりでした。現代のYouTube上で流れている「オモシロ・カワイイ、猫ちゃん動画」とはまるで異なるエッセンスばかりです。犬と猫の飼育数が反転したのは2017年(一般社団法人ペットフード協会調べ)だそうですから、昭和~平成の時代の価値観には「飼うなら断然、犬」という大きな流れがあったように思います。
「いけ好かない猫」が徐々に世の価値観の侵略を始め、静かに各住宅の支配を試みていた時、私もまた彼らの魅力に打ち負けてしまいました。今や、私の猫に対する価値観は大きくコペルニクス的に転回しています。「化け猫」と聞けば「ぜひ見させて頂きたい、触れさせて頂きたい」という欲求に囚われ、「猫は懐かない」と聞けば「それは猫様の要求を無視していた悪い奴に違いない」と合点し、「猫は自分勝手」と聞けば「何という恐れ多いことを考えていたのだ、そう思う自分が自分勝手であった」と謝罪する。そう、私は今や、完全なる猫の下僕なのです。そして、その状態に心から満足している自分がいます。
こよなく崇め奉り、こよなく愛する、掛け替えのない猫達。長生きしてねと、心の中でささやく自分がいつもいます。