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令和6年(2024年)5月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

不思議な出会い

 若い頃、東京行きの飛行機で隣の席だった女性とその夜、渋谷駅前の横断歩道ですれ違ったことがある。人生は多くの出会いで成り立っているが、長く生きていると不思議な出会いを経験する。
 私の通った私立A中学には3大奇人なるものが存在した。その一人であるH君と2年生から同じクラスになってしまった。
 ある日突然に「高校野球の甲子園で、春と夏はどちらがすごいと思う?」と聞かれて「分からない」と答えたら、「春は地区大会で最後に1回負けても出られるが、夏は予選から1回負けたら終わりで......」と数分間まくし立て、夏の方がすごいと言いたかったのだろうが、急にこの話になった理由は理解できなかった。
 3年生の修学旅行の集合写真5枚全てで、H君の顔はぶれていたり、人の後ろだったりと、はっきり映る写真が無かった。彼も医者の子弟で私と違う高校に入学したので、その後、彼の記憶はほぼ消えた。
 それからおよそ30年後、麻酔科関連の東北地方会が秋田大学主管で、盛岡で開催された。特別講演は、現在では常識の成分輸血に関して、東京のある大学のH先生に講師を依頼していた。その頃、私はよく特別講演講師の担当になった。
 しかし、その講師が午後の一般演題が始まっても到着しない。特別講演の1時間前になっても現れない。迎えに出たから早く来るわけでもないが、何となく玄関前まで来てしまった。
 向こうから黒のバッグを持った男がブラっと歩いて来た。近付いて「H先生ですか?」「はい、そうです」「お待ちしていました」「私の妻が盛岡の出身でね」(そんなことどうだっていいから急いで下さい)。笑みを浮かべて「石割桜はぜひ見てこいと言うものでね......、今見てきましたよ」(そんなのは講演が終わってからにしてくれよ)「先生、少し急いで下さい」。このような方は大体歩くのが遅い。
 パワーポイントが無い時代だったので、スライドホルダーに入れないといけない。「指示して頂ければお手伝いします」「それには及びませんよ」(......)。
 特別講演の30分前にやっと試写が始まったので、少しホッとして間を持たせるため「先生のご出身はどこですか?」「三重県です」「えっ」「三重県の四日市です」「私も四日市ですよ」。H先生は試写を確認しながら「奇遇ですねえ。私は私立A中学です」「私もA中学ですよ」。試写を中断してゆっくりと私の方を見た顔に30年前のあの顔が重なった。
 「お前はあのHか?」
 「確かにHですが......」
 指を指したまま5秒程の沈黙が流れた。生まれた年を聞かれて、「それは兄です」。高揚したものがゆっくりと崩れていった。
 懇親会では、A中学の話で盛り上がったが、「お兄さんに似てらっしゃいますね」の言葉が出そうになりその都度、心の中に押し殺した。ましてや3大奇人などと......。

秋田県 秋田市医師会報 NO.627より

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