近所にあった中学校には徒歩で通っていましたが、高校に入ってからは自転車とバス、地下鉄を乗り継いでの通学になり、往復で3時間以上も掛かるようになりました。
また所属した陸上部の練習は、中学と違いとてもハードなものでした。この急な環境変化に体が追い付かず、帰宅すると疲労困憊(こんぱい)になってしまい、机に向かうことなく寝るだけの生活になりました。
入学して最初の期末テストは、散々な結果になりました。特に数学はいわゆる赤点です。部活の顧問は新任の数学の先生でしたので、「赤点を部活のせいにするなよ」と言われました。数学の補習授業と追試を終え、あっと言う間に1学期が終了しました。
私の夏の課題は、とにかく学習時間を増やすことだったのですが、休みに入ると午前中は部活の日々になりました。
名古屋の東に位置する学校の近くには東山動植物園があり、園の周囲には一万歩コースという散策路が整備されていました。全長は約6キロメートルで森の中に階段や起伏があり、走るとクロスカントリーになります。練習では、そのコースへ出て走り込みをするというメニューがありました。
7月末日は、猛暑日になりました。私はグラウンドでの練習を終え、白いTシャツに着替え一万歩コースに出掛けました。
騒がしい蝉時雨(せみしぐれ)の中を走っていた時です。鼻の奥に妙な匂いがしたと思ったら、程なくして鼻血が出てきました。昔から親に教わったとおり、首の後ろをトントン叩きながら走りましたが、止血することはできません。仕方なく、鼻血をTシャツで拭いながらランニングを続けていたら、いつしかTシャツは赤く染まっていきました。
コースを走り終え校門に入ったところで、体が浮く感覚に包まれ、周りの景色がグルッと回りその場にへたり込んでしまいました。暑さと脱水で熱中症を発症してしまったのです。うまくしゃべることができません。目の前が暗くなってきた時、最悪のタイミングでグラウンドから先生がこちらに走ってきました。
先生は血だらけで倒れている私を見て、何らかの事件に巻き込まれたと思い込んでしまいました。顔面が蒼白になり、私を抱き抱え「誰にやられた?」「相手はどこへ行った!?」と大声を出してパニックになっています。しかし私は話すことができません。先生は目に涙を浮かべながら「何か言ってくれ!」と叫ぶのですが、どうしても無理なのです。私は鼻血と熱中症であることを伝えたいのですが、言葉になりません。もし声が出るなら、「先生。大きな勘違いをしていますよ」とだけ言いたいのです。
その時、先輩が一万歩コースから戻ってきて、事の成り行きを先生に説明してくれました。幸い症状は思ったより軽く、日陰で体を冷やし水分を補給していたら徐々に回復して、会話ができるようになってきました。ちょっと落ち着いた先生は、慌てふためいたことで決まりが悪かったのか、「よかった、よかった。皆、水分の補給は早めにしっかりするように」と言われました。しかしあの時代に、練習中に水を飲むという習慣はどこの部活でもありませんでした。
先生は横になっている私に、「何かできることがあったら言ってくれよ」と声を掛けてくれました。私は体調が戻りテンションが上がっていたので、頭を起こして一つだけお願いしました。「ちょっと数学を教えてもらえませんか」。ここから、部活後の夏の短期講座が始まったのでした。
その後は、鼻血も出ないほど勉強したわけではありませんが、あの熱中症がなければ理系に進むことはなかったのかも知れません。
今でも時々、運動のため妻と一万歩コースを散策します。ランニングをしている高校生を見ると、45年前の自分の姿が重なり、つい「ファイトー!」と大きな声を掛けてしまうのです。