肥満を患った人が体重を減らすためにライザップに通うと、最低30万円くらい必要で、細かく指導を受ける場合、更に追加で何十万円か必要だと、通った人に聞いたことがある。運動して食事制限をする必要があり、努力と我慢をするためにお金を払い、痩せた体を手に入れるという、ちょっと面白いビジネスモデルだと思った。
自分は、努力するのも我慢するのも嫌いで、食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べる、を信条に生きてきた。昔、羽田から小松まで飛行機で帰る際、空港で小さい「とらやの羊羹(ようかん)」を購入し、乗る前に食べるか小松に着いてから食べるか大いに迷い、着いてから食べることにしたのだが、途中飛行機がめちゃくちゃ揺れて、落ちるかも知れないと思った時、羊羹食っておけば良かったと本気で後悔した。
それ以来、食べたいものは我慢せず、すぐに食べるよう心掛けてきた。そのためか、働き始めてから体重が100キロを切ったことがなく、ここ何年か2型糖尿病の治療が必要になっていた。そんなだらしない自分が、今年の7月から4カ月で25キロ減量した。今の体重になるのは40年ぶりで、血液検査で異常値が一つも出なかったのも35年ぶりのことである。
ビグアナイド系血糖降下薬とSGLT2阻害薬の2剤を内服していたが、HbA1cは全く下がらなかった。薬を飲んで、少し検査の数値が良くなると、食べる量が増えることが原因だった。6月のとある学会で友人達と食事をしながら、「俺は今食事に気を付けていて、次の採血でHbA1cが下がらなかったら、食欲が無くなる注射を打たれちゃう」と笑いながら話をしていた。自分としては節制して努力していたので、7月の採血では下がっていて当たり前と考えていたが、検査結果を見ると、何と前回より上がっていた。ちょっと衝撃を受けた。あれほど努力したのに、と考えていると、主治医に「注射、どうします?」と聞かれた。注射は痛いから嫌だし、怖いと思っていたが、これは自己管理のできないダメ人間に対する罰だから受け入れようと、翌日から自己注射することになった。
注射で痛い思いをするのはこれまでの自分の行いの報いだと思い、時代劇で侍が切腹するような感じで覚悟を決め、腹に注射器を当てて「うっ」とドラマの切腹シーンのように声を出してボタンを押したが、全く痛くない。自分があれほど覚悟していたことが恥ずかしくなった。罰にもならない。
初めて注射して1時間後に、職場の自分の部屋に到着したのだが、当時そこには自分が死ぬ前に食べたい物リストベスト3に入っている「坂角のゆかり」がたくさん置いてあり、それを食べようと手にした。ところが、反射的に食べたくないと思い、すぐ手から放して机の上に置いてしまった。「あれ? 自分がこんなにも好きな食べ物を手放した。これはおかしい」と思い、もう一度食べようと再び手にしたが、どうしても食べたくない。全く食べる気がしないのだ。これは不思議な感覚だ。生まれて初めての感覚だった。気持ち悪いわけでもなく、腹一杯食べた後でもない。今までは腹一杯になっても目の前に食べ物があれば全て食べ尽くしていたはずなのに。
それからというもの、食べ物を見ても食べたいと思わなくなり、少し食べるだけで満腹になるようになってしまった。食べられないなんて可哀想、と人に言われるが、自分が食べたくないので、つらいことは全く無く、我慢しているわけでもなく、食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べて生きている。つまり、何の努力も我慢もすることなく、自然に体重が減少していくのである。ただ、少し食べるとすぐに満腹になるので、バランスよく食べようと気を遣うようになった。まるで、健康な人のように考え方まで変わってしまった。
こうして何の努力も我慢もすることなく最初の1週間で4キロ、1カ月で10キロ減り、3カ月で20キロ減量してしまった。緩い時代になったと時々思うが、自己管理のできないダメ人間のための注射まで登場したのかと思うと、医療の進歩を実感せずにはいられない。何の努力もなく、健康な体を手に入れてしまったため、少し後ろめたい気持ちでいた。
薄っぺらくなった自分の体を見て、ある人は私とは気付かず、ある人は気付いていても気付いていないふりをし、ある人は「病気ですか?」と聞いてくる。私をよく知る人達に、私が努力してこのような肉体を手に入れると思っている人は誰一人いなかった。これが自分の徳なのだとしみじみ感じた。そんな中、一人の女性医師から「先生、ライザップですか!?」と言われた。良い人だ。人間は努力していろんなものを手に入れると考えている人に違いないと思った。そんな美しい心に触れて、何となくあった後ろめたさが少し晴れた気がした。
(一部省略)
福井県 福井県医師会だより 第753号より