気が付けば、私は重度の「俳句病」にかかっていた。熱もせきもないが、病識はある―テレビのセリフに季語をのせる。スーパーの陳列が一句に見える。夜中に一句ひらめいて、目が覚める。
 発症の原因は、ある患者さん(石川県現代俳句協会役員)のひと言だった。「先生、俳句、どうですか?」
 当初私は、バラエティ番組「プレバト!!」を録画して見る程度の軽症者だった。しかし、誘われて句会デビューしたその日から、病状は急速に悪化。帰宅後、「顔洗って出直してこいって言われた」と家族に話すと、「俳句ってそんな体育会系なん?」と素朴なツッコミが返ってきた。「うん、ちょっとだけね」と苦笑い。
 俳句とは四季を詠むもの―そんな固定観念は、「うんこ」を詠む俳人の存在を知った瞬間、粉々に砕けた。金子兜太の一句。
 長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
 あまりの強烈さに「五七五の呪詛(じゅそ)か?」と身構えたが、読み返すほど、母への深いまなざしがにじみ出ていて心を揺さぶられた。俳句って、こんなに自由でいいのか? いや、いいらしい。しかも季語が無くてもいい。現代俳句協会は「俳諧自由」。妖怪のような季語に縛られなくてもいいのだ。
 ますます病状は進行する。ある日の外来診療中、患者の名前を呼ぼうとした瞬間、一句降ってくる。
 夏帽子深くかぶって名を呼ばる
 ......って、詠んでる場合じゃない。診察中だった。処方箋(せん)を書いている最中にも、ふと浮かぶ。
 処方箋もらいにゆけば蝉しぐれ
 ......しみじみしすぎて、手が止まる。いかん、業務に支障が出る。こうして日々の暮らしは、すっかり五七五に侵食されていった。診察メモの隅に季語、待合室の貼り紙の横に俳句。運転中に一句思いついて、信号待ちでメモ。スマホのメモ欄は、ちょっとした句集と化していた。
 この病の特徴は、「孤独に詠むくせに、妙に共感を求めがち」なところ。句会に出すと、「これはわかる!」と誰かがニヤリと笑う。季語が、まるで共通言語のように働くのだ。呼吸を合わせるように五七五でつながると、ちょっといい気分になってしまう。病状が安定してきた今は、「個の声」をしみじみと、時にコミカルに詠むようにしている。どうせなら、笑って読まれたい。
 診察も、句作も、実はあまり変わらない。相手の中にある何かと、そっと向き合う。その感触がうまく言葉になった時、今日という一日が、ほんの少しマシになる。
 秋灯やカルテの余白老いのこす
 ......余白に何かを書きたくなる衝動、俳人あるある。もう完治は望めない。けれど、焦って治す必要もない。この「俳句病」とうまく付き合いながら、のんびり暮らしていこうと思っている。診察室にも、待合室にも、五七五の息遣いが、そこはかとなく響いている。





