1日7、8000歩の散歩と新聞読みは体と頭の健康のために自らに課したノルマである。日々の散歩は、新聞の気象情報(気温と時間帯ごとの降雨量)を参考にして、出発の時間と地上散歩か/地下歩道かの経路を決めている。散歩の楽しみについては何度か書いてきたが、今回は散歩と新聞読みの関係について記してみたい。
新聞を手にすると、まず気象情報を確認。次いで1面の見出し、2面以下の政治・社会・経済欄記事の見出しをざっと一覧した後、スポーツ欄から読み始める。肩の張らないスポーツ記事を読み終えると、始めに戻って世界と日本の政治、社会、経済、身近な事件・事故などの3面記事に順に目を通す。政治・社会欄では最近はトランプ米大統領の言動、戦時下のウクライナ情勢、ガザ他複雑な中東情勢に関する記事はほぼ読むが、国内政治の瑣末(さまつ)には深入りしない。経済欄もほぼ同様であるが、国内企業の盛衰などは政治に比べるとやや関心があり読むことがある。3面記事に類する身辺の事件はあまり興味がなく斜め読み程度である。
新聞にはこれら以外に、各分野を俯瞰(ふかん)あるいは横断的に論ずる社説・評論記事があり、他に文芸評論、科学記事(発明・技術解説)などもある。いずれもやや硬い感じの文章が多いが、多くの場合これらの記事が私には最も興味がある。
それにしても正味3時間あまり、毎日24~28頁に及ぶ新聞に目を通すのはかなりの努力を要する作業で、90歳を前に最近は目も疲れやすく一気に読み通すことができず、何かと用事を作っては何度も中断する。
こんな状況に対し、数年前からある対策を思い付いて実行している。半ばほどまで読んだところで読んだ部分を切り離し、未読部分だけにするのである。ビリビリと破って捨てる行為自体気分をすっきりさせる効果もあり、自らをごまかすに過ぎないこの行為が意外と読む負担感を軽くしてくれる。じっくり時間を掛けて読もうと、上記した社説・評論記事、文芸評論欄などの硬い文章部分を切り離すこともある。
こんなわけで、最近の散歩には新聞読みの楽しみが加わった。散歩の途中で一休みしてカフェで昼食をしたりコーヒーを飲んだりすることがしばしばあるが、そんな折には千切り取った硬い文章の載った新聞4頁を懐にして家を出る。食事の後あるいはコーヒーをお代わりしながら、静かな雰囲気の中で、これらの文章をじっくりと読む。
このような時間の中で、自らと同じ考えや価値観に出合うことには旧来の友人に久しぶりに出くわしたような喜びがあり、近刊書の書評を読んで興味ある本を見出すとシメタとばかり書店へと出掛ける。中でも私が最も幸せと感じるのは、今まで自ら自明のものとしていた価値観や知識を打ち破る啓発的内容の社会・文芸時評、科学解説などを読み、新たな価値観や判断基準を得て、来た時とは異なる自分となってカフェを後にする時である。



