やりたいことの近くにいれば、
何歳からでも新たなスタートを切れる
~消化器内科医 鴨川 由美子先生~(前編)
研究と臨床の間で悩んだ日々
伊藤(以下、伊):鴨川先生は、消化器内科で臨床医として働いたのち、基礎研究のための海外留学、海外の研究所での勤務を経て、その後は一転、国境なき医師団やWHOなどで途上国の医療に携わるという、非常に多彩な経歴をお持ちです。まず、基礎研究の道に進まれた理由を教えていただけますか。
鴨川(以下、鴨):最初のきっかけは、消化器内科でB型肝炎の患者さんを多く診るうち、免疫に興味を持つようになったことでした。イェール大学時代はCellに論文を掲載する機会も頂きましたし、その後もアメリカのディナックス研究所をはじめ、東京大学医科学研究所や民間の研究所など、様々なところで基礎研究に携わっていたのですが、「また臨床医として働きたい」という気持ちも残っていました。
伊:研究と臨床、どちらを選ぶか常に迷ってこられたのですね。
鴨:はい。そうして基礎研究を続けるうち、この辺は理学博士に任せるべきかなと感じる機会が多々ありました。私は医師ですので、疾患や身体全体のことについて考えるのは得意です。しかし、基礎科学系の深い知識を持って、理論を細かく詰めていくことについては、理学博士の方々には素晴らしいものがありました。基礎研究者として成功している医師の中で、臨床も同時にやっているという方は数少ないと思います。抗体医薬の手がかりがつかめたところで、いつしか私は「医師として研究でやれることはやりきった」と感じるようになりました。
伊:そんな折に、オーストリア人の御夫君の帰国が決まりました。
鴨:ええ。夫は企業勤務で長く日本に赴任していたのですが、仕事の都合で故郷のウィーンに帰ることになったのです。私も、「ここで一度、人生の仕切り直しがしたい」と思い、夫と共にウィーンに渡りました。幸い、当時籍を置いていた研究所は、サバティカル(長期休暇)という形でポジションを確保してくれました。ウィーンで日本よりも少しのんびりとした時間を過ごすうち、やはり臨床に戻りたいという気持ちがふつふつと湧いてきたのです。
学生時代の夢を叶えるために
伊:そこから先生は、途上国での医療の道へ進まれました。臨床に戻ろうと考えたなら、消化器内科に戻るのが一般的かと思うのですが、なぜ途上国への道を思い立たれたのでしょうか。
鴨:サバティカル中に自分の今後について考えるうち、学生時代に抱いていた三つの夢を思い出したんです。一つは臨床医として診療すること。一つは研究をすること。そしてもう一つが、途上国の医療に貢献すること。私は働き始めてから、三つ目をすっかり忘れていました。じゃあ、この機会に途上国に行こうと思ったんです。
伊:それでまず感染症の専門家養成セミナーを受講されたとのことですが、このセミナーはどうやって見つけたのですか?
鴨:日本に一時帰国した際、レストランでたまたま昔の上司に会ったのです。名刺交換をすると、奇遇にもその方は国立国際医療センター病院・国際感染症センターの指導者をしていらして。すぐにメールをお送りし、紹介していただいたセミナーで公衆衛生やインフラ整備などを含めた途上国医療の手法を学んだ後、国境なき医師団に参加しました。
やりたいことの近くにいれば、
何歳からでも新たなスタートを切れる
~消化器内科医 鴨川 由美子先生~(後編)
感染症の撲滅に携わる
伊:国境なき医師団ではどんな仕事をされていたのですか?
鴨:インドのカシミール地方という紛争地域で保健医療に携わりました。遠隔地の小さな診療所に出向いて診療を行ったり、現地の医師・看護師が適切な診療をできるよう監督したり、統計をもとに薬を計画的に発注したりすることが主な仕事でした。
診療するうち、この地域には成人の胃腸疾患が多いことに気付きました。感染性腸炎も多いのですが、ヘリコバクター・ピロリの影響も大きいのではないかと私は考えました。もしヘリコバクターの除菌ができれば、胃炎の治療を何度もせずに済むようになりますし、何よりがんの予防になります。そこで国境なき医師団に打診したところ、「がんに関する活動はできない」と断られてしまいました。確かに途上国の医療は、何もかもやろうとすると、結局何もできなくなる側面があります。ですから緊急医療と感染症だけという方針には納得したのですが、だったら私自身で何かできないかと、WHOを訪ねたんです。
伊:それがきっかけで、WHOで働くことになられましたね。
鴨:ええ。「そういうことに興味があるなら、熱帯病の仕事に関わってみないか」と誘っていただき、フィラリアの撲滅活動に携わりました。ヘリコバクターに直接関係するものではありませんでしたが、この活動を通じて感染症撲滅のストラテジーを学ぶことができました。
伊:現在は、ウィーン医科大学に所属しておられます。
鴨:はい。加えて最近、日本でも胃癌を撲滅する会というNPOを立ち上げました。日本の先生方と協力し、南米などでヘリコバクターの除菌を推進する活動をしています。現地の医師に対し、除菌の重要性や内視鏡治療技術を伝えるところから始めるつもりです。現地の医師にも共同研究者として検体を提供してもらうなど、対等な関係を築けたらと思っています。
やりたいところがスタート
伊:先生は常に国内外の複数の研究所や病院に在籍しつつ、医師団やWHO、NPOの活動にも携わってこられました。各所属先の活動を有機的に結び付け、学生時代の三つの夢を一つひとつ実現してこられたのですね。
鴨:私自身は結び付けたつもりはなくて、たまたまうまく結び付いた、という感じですけれどね。もちろん一つのことに邁進する生き方も素晴らしいですが、その時の状況に合わせて自分のあり方を変えるのも悪くない、と私は思っています。
伊:アメリカでの経験も先生の考え方に影響したのでしょうか。
鴨:そうですね。多様な国や立場の方たちと一緒に学んだことで、性別や学歴は関係なく、結果を出すことが全てなのだと実感しました。また、人間は何歳になろうと、やりたいと思ったところがスタートラインなのだと学ぶことができました。
伊:先生のお話は、出産・育児をする女性医師の励みにもなります。たとえ非常勤でも研究生としてでも、籍を置き続ければそれが様々な形で結び付いて、夢が叶うこともあるのですから。「こんな働き方で続けても仕方ない」と自分から諦めないでほしいですね。
鴨:はい。週一回でもいいから所属機関に顔を出し、知識をアップデートしながら、やりたいことができる環境の近くに居続けることが大事だと思います。そうすればきっと夢を叶えられる日が来るはずですよ。
語り手(写真左)
鴨川 由美子先生
ウィーン医科大学 第三内科消化器内科
特定非営利活動法人 胃癌を撲滅する会 代表
聞き手(写真右)
伊藤 富士子先生
日本医師会 男女共同参画委員会 委員(取材時)
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