日本医師会の取り組み
成育医療

平川俊夫日本医師会常任理事に、成育医療の概念とその重要性について聴きました。

子どもの発育を社会で支える

――医師会における平川常任理事の活動について教えてください。

平川(以下、平):私は産婦人科医としての専門性を活かし、周産期医療・乳幼児保健を担当しています。日本医師会は長年、子どもを守り育てられる社会の構築を目指して活動してきました。その成果の一つが、昨年末に成立した「成育基本法」です。常任理事に就任した頃は、ちょうど法案を国会に提出する活動が盛んだった時期です。私はそこから法制化に至るまでの過程に携わりました。

――成育基本法の理念はどのようなものですか?

:成育基本法は、日本の社会を繁栄させていくにあたり、子どもを心身ともに健やかに育くむために必要な施策をまとめたものです。育児の責任を親だけに負わせず、妊娠期から出産・子育て期、学童・思春期を経て大人になるまで、社会が切れ目のない支援を行うことが必要です。成育基本法は、そんな支援を可能にする医療・社会の仕組み作りを促す法律です。

――具体的にどのような支援が必要ですか?

:まず、病気になったとき、誰もが良質な医療を受けられる仕組みが不可欠です。また、予防も重要です。予防接種を例にとると、正しい知識を普及しつつ、接種にかかる保護者の金銭的負担を軽くするなどの仕組みが必要です。さらに、保健教育・性教育も必要です。教育を通じ、子どもが科学的に正しい知識を持って、自分や他人の心や体を理解できる力を養うのです。

昨今は児童虐待が深刻な問題となっており、虐待の予防と早期発見も喫緊の課題です。虐待は、特別に凶悪な保護者が行うとは限りません。多大な負荷がかかる子育て期では、普通の人でも子どもを虐待してしまうことはあり得ます。そこで、虐待も社会の問題と考え、育児に困難さを抱える方を早期から支援し、それでも虐待してしまった場合は速やかに発見して子どもを守れるような体制を作らなければなりません。

その一環として、子どもの死因究明も重要ですね。事故死として処理された中に、実は虐待死だったケースも含まれているそうです。死因を究明・分析することで、子どもの防げる死を予防しなければなりません。ただ、今は、消防・医療機関・警察などで、子どもの死因に関わるデータが別々に保管され、それらの連結は容易ではありません。国の責任のもと、各機関が同じ方向を向いてデータを共有し、死因を検討する仕組みを整えるという方針も、成育基本法に盛り込まれています。

成育医療における医師の役割

――成育過程の支援における医師の役割は何でしょうか?

:まず一つは、健康教育に関わることでしょう。保健教育・性教育の分野について、学校の先生方に知識を持っていただくことはもちろんですが、医師もそこに加わり、学校や地域で子どもへの啓発ができる体制があると良いですね。富山県では、20年ほど前から、医師が中学校に出向いて性教育をする活動が行われており、保護者や教師の方々からも非常に評価されているそうです。

また、虐待対策にも医師が果たせる役割は大きいです。子どもの身体や行動を見て、虐待のサインを早期に発見できるよう、DVDやe-ラーニングなども含めた様々な手段で医療者に知識を広めていく必要があります。

子どもを産み育てやすい社会を作るためには、各医療機関や専門医会、行政の速やかな連携が欠かせません。成育基本法の成立は、そうした連携構築の重要な第一歩となるでしょう。

私と医師会活動
自分の使命は、現場の声を国の仕組みに反映し、
社会を良くしていくこと

――まずは、平川常任理事が医師を目指された理由をお聞かせください。

:私は中高生の頃から、人のため、社会のために役立つ仕事がしたいと考えていました。ただ、当時は父が税務署に勤務していた影響もあり、「法学部に進学して大蔵省に行こうか」と何となく考えていましたね。そんなある時、水俣病の研究者で、患者さんの救済に献身的に取り組んでおられた原田正純先生が、高校に講演に来られたのです。私は水俣病の存在を初めて知り驚くと同時に、原田先生の「社会の中で病気を診なければならない」というお話が非常に印象に残りました。医師には、目の前の患者さんを治療するだけでなく、なぜその病気が起こったのか、二度と起こさないようにするにはどうしたらいいかを考え、公衆衛生的な観点から国の仕組みを整えていくことも求められる。自分の理想とする「人のため、社会のために役立つ仕事」と医師の仕事が、そこで結びついたのです。

その後、医学部に入学してから、夏休みを利用して水俣を訪問する機会がありました。水俣病の患者会の方々が、医学生や看護学生に水俣の様子を見学させる活動をなさっていたのです。質問票を片手に戸別訪問し、色々とご馳走になったりしながらお話を聴きましたね。自分たち学生は高度成長期の恩恵にあずかって、何も知らずに伸び伸び育ってきたけれど、一方で社会のひずみの犠牲になっている人たちがいる。自分たちの生活はその人たちの犠牲のうえに成り立っているということを強く認識しました。

――産婦人科を選ばれた理由は何だったのですか?

:医学生の頃、ちょうどエコー検査が発達してきて、妊婦さんのお腹の中の赤ちゃんが見えるようになったのです。私はもともと、新しい生命ができるということに神秘性を感じていたのですが、エコーによってその神秘の世界に入っていける気がして、魅了されたのです。

ただ、産婦人科に入局して4年経った頃、「もっと全身を診る力をつけたい」と考えるようになり、病理学の大学院に進学することにしました。卒業後も病理学の助手になったり留学したりと、結局7年間病理医としての経験を積みましたね。そこから、妻の実家の産婦人科医院を継ぐことを見越して、また産婦人科の医局へと戻りました。

――医師会活動に携わるようになった経緯について教えていただけますか?

:50歳の時に、妻の実家の医院に夫婦で戻り、地域医療に携わるようになりました。大学の医局にいた頃から、公的な活動には関わっていましたから、自然と地域の医師会活動も引き受けるようになりました。思いがけず横倉会長よりご指名をいただいて、日本医師会役員になりましたが、気付けば高校時代に理想としていた「社会に役立つ仕事」という原点に返っていましたね。

――日本医師会役員として、今後どのように社会に貢献していきたいとお考えですか?

:あまり大それたことを言える立場ではありませんが、学生時代に患者さんから教えられたのは「現場の感覚を大事にする」ということです。患者さんの声、現場の医療者の声を的確に拾い上げ、国の仕組みに反映する。それが医師会役員の仕事ではないでしょうか。そのため、私は普段は役員の仕事で東京にいますが、週末は地元に帰って診療するようにしています。これまで学んできた医学医療の知識・技術を患者さんに還元すること、そして、時に公衆衛生的な視点から、社会の仕組みにアプローチすること。これが、医師としての自分の役割であり、使命だと考えています。

平川 俊夫
日本医師会常任理事