コーヒーが好きだ。いや、正確に言うと、「気付けばコーヒーにはまりかけている」という方がしっくりくる。数カ月前まで、コーヒーなんて何を飲んでも同じ。コンビニのコーヒーで十分満足していた私が、焙煎しているなんて、自分でも驚いている。
きっかけは、たまたま子どもと訪れたパンケーキ屋さん。その店は後から知ったが、自家焙煎をしてハンドドリップコーヒーを出すお店だったのだ。出されたおすすめの一杯のコーヒーは、苦味よりも明るい酸味が際立ち、まるで柑橘系の果物を思わせる香りがした。口に含んだ瞬間、コーヒーの世界が一気に広がった気がした。「コーヒーって、こんなに華やかで複雑なんだ」と驚き、気付けば器材を購入して、自宅でハンドドリップを始めていた。
しばらくは専門店で豆を買って淹れるだけで満足していたが、焙煎を目の前で見ても、希望どおりの焙煎度にでき上がっていない。「これなら自分でも焙煎できるのでは?」という欲が湧いてきた。豆をもっと自分好みに仕上げたい。そんな思いで、焙煎の勉強を始めた。
手軽に始められる手網の焙煎ができるように機械、温度計などと一緒に生豆を購入。週末、温度を測れるように改造した手網、生豆をテーブルに並べ、冒険の始まりに胸を躍らせていた。
生豆は想像以上に素朴な見た目だった。青みがかった緑色で、ほのかに青草のような匂いがする。これが、あの香ばしいコーヒー豆に変わるのかと思うと、不思議な感覚だった。動画を見て予習し、意気込んでコンロに火を付ける。最初はとにかく緊張した。火を入れ始めると、じわじわと豆が温まり、しばらくして生豆特有の青臭さが消え、香ばしい匂いが部屋中に広がっていく。一緒にいた子どもがキャラメルの匂いがする!!と興奮したように、自分も豆の変化が楽しくてしょうがなかった。耳を澄ますと、「パチパチッ」という音が聞こえる。これが「1ハゼ」と呼ばれる焙煎の山場だと知ってはいたが、実際に聞くと感動した。予習のおかげもあり、予定どおりで煎り終わり、片手扇風機を当てて豆を冷やす。粗悪な練習用の豆でおいしくないはずなのに、なぜか煎りたてのコーヒーを飲んだらおいしい。不思議なものだ。
そんな試行錯誤の中で、私はいくつかのことに気付き始めた。まず、焙煎は「レシピ通り」にできるものではないということ。火加減、豆の状態、室温、焙煎器のクセ、全てが絡み合い、毎回条件が違う。次に、感覚を総動員する作業だということ。煙の香りの変化、豆の色の変化、豆が弾ける音。全てを感じ取ることが、焙煎を成功させる鍵だ。そして、何より強く感じたのは、焙煎の魅力は「不完全さ」にあるということだ。どんなに技術を磨いても、農産物である豆を相手にしている限り、完全な再現はできない。だからこそ、一期一会の味わいになる。自分が焙煎した豆を挽き、淹れたコーヒーを口に含んだ時、たとえ理想どおりでなくても、その一杯が唯一無二のものだと思える。市販の豆では味わえない、深い満足感があった。
もちろん焙煎は手間が掛かるし、決して簡単ではない。それでも、私にとって焙煎は週末の「小さな冒険」だ。仕事や日常の忙しさから離れ、豆と向き合う時間は、心を落ち着け、自分自身を見つめ直す時間にもなっている。自分の好みの一杯を探し続ける。それが、私にとってのコーヒーの魅力になっている。
(一部省略)
埼玉県 深谷寄居医師会報 第197号より