医師への軌跡

逆境とも言える場所で、
己の価値を発揮する
近藤 豊

華々しい研修医時代

中学生の頃から漠然と救急医に憧れていた。しかし当時はまだ救急医療が確立されていなかったこともあり、医学部に入ったものの救急専属の医師は2名しかいなかった。大学病院の救急外来は各診療科の医師が持ち回りで担当しており、大病院にもかかわらず救急専属の医師が少ないことに、学生ながらに課題を感じた。

そこで近藤先生は初期研修先として、救急で有名な沖縄県立中部病院を選択。さらに後期研修では東京に出て、聖路加国際病院で2年の経験を積んだ。救急医としては王道のキャリアである。

「民間病院での4年間は、非常に多くの症例を経験することができました。聖路加では自ら外科を志望し、簡単なオペならば自分でできるぐらいの技術を身につけました。臨床医としての自信はつきましたが、同時にこういう場所では、自分一人がいなくなっても何も変わらないことにも気付かされました。」

一転、大学院へ進学

上昇志向の同輩に揉まれ、日々搬送されてくる多くの患者に対応するなかで、近藤先生は自身の力を活かすためにはどうしたらいいか、日々考えあぐねていた。葛藤の末、卒後5年目から、出身大学である琉球大学の大学院に進学する。しかしなぜ、救命救急センターもない大学に戻ることに決めたのか。

「課題を感じていた所に自ら行って、逆境ともいえる場所で自分の力を発揮してみるのもありなんじゃないか、と。このまま民間病院で働くより、大学で研究したり論文を書いたりする力を身につけることで、自身の学んだことを出身大学に還元できるのではないかと思ったんです。」

それからは、とにかくその場、その時で求められる役割を果たしながら、自身の学びを深めてきた。大学病院は患者数こそ少ないが、それまで診ることのなかった特殊な疾患も診られるようになった。ドクターヘリで洋上へ救助に向かったり、災害対策に関わったりといった、沖縄ならではの活動にも携わることができた。また臨床で感染症を診る機会が多かったこともあり、敗血症をテーマに研究を行ってきた。研究も進めれば進めるほど面白くなり、2015年6月にはハーバード大学に研究留学することも決まっている。

やりたいことを追求していく

救急災害医療棟が立ち上がる時には、その設計から携わり、面積を3倍にし、12床のベッドを設置。学生や研修医がより深く救急医療を学べるようにしたことで、実習で救急科を選択する学生や研修医も徐々に増えているという。

人とは違う救急医のあり方を模索し、役割を果たしながら実績を積んできた近藤先生に、今後のビジョンを聞いた。

「人が少ない場所の方が、より良くできる余地が多くて、僕には合っている気がします。今後もそういうスタンスで、医師として求められる価値を出しつつ、やりたいことを追求していきたいと思っています。」

近藤 豊
琉球大学大学院 医学研究科 救急医学講座 講師/同大学医学部附属病院 救急部 副部長
2006年琉球大学医学部卒業。沖縄県立中部病院、聖路加国際病院での研修の後、琉球大学大学院医学研究科に戻り、2013年に首席で修了。災害対策、敗血症、外傷などの研究を行い、2015年の夏より敗血症をテーマに2年間ハーバード大学への研究留学が決定している。また、東日本大震災時にはJMATの一員として被災地への医療支援にも参加。2015年現在、日本版敗血症診療ガイドライン2016年改訂版や、ARDSクリニカルプラクティスガイドラインの作成委員会に参加している。

No.13