地域医療ルポ
20年以上かけて見つけ出した「私だけの使命」

兵庫県赤穂郡上郡町 大岩診療所 大岩 香苗先生

兵庫県赤穂郡上郡町
岡山県備前市に隣接する、兵庫県の西端の町。1年を通して晴天の日が多く、温暖な気候。人口は約1万6千人。日本の名水にも選ばれた清流・千種川が流れている。京都と九州の太宰府をむすぶ古代山陽道の要衝、野磨駅家(やまのうまや)などの歴史的遺産や史跡が残る町。
大岩先生

1988年1月、大岩先生は30歳という若さで、地域医療の世界に飛び込んだ。医師である父から「有床診療所を作ってほしいという要望に応えてくれないか」と頼まれたのだ。医師としての経験はわずか6年ほど。地域医療を担うには「無謀」な歳だったと大岩先生は言う。

それまで、診療所で働くことなど全く想像していなかった。大学で知り合った夫とともに外科医としてキャリアを積み、いずれは移植分野に進めたら…と考えていた。しかし、待っている人たちを無下にはできなかった。「仕方ない、2年だけ…」と自分に言い聞かせ、大岩診療所に院長として赴任した。

ある程度の外科手術ができる入院施設を立ち上げるのは、想像以上に大変だった。父と夫のサポートはあったものの、最初の頃はほとんど一人で診療を行い、週に3日もの当直をこなした。とにかく無我夢中だったが、感謝とともに受け入れてくれる地域の人々に支えられた。大学に戻りたい気持ちと葛藤した末に、2年の後もここで診療所を続けていくと決めた。大学院で研究をしていた夫も呼び寄せた。

しかし続けていくうち、診療所があることが徐々に「当たり前」になった。医学の進歩とともに、より高度な医療を求める風潮も出てきた。頼られるようになったのは喜ばしいことだったが、経験症例の少ない自分が外科としての専門性を極めるのには限界があるのではないか…そう感じた大岩先生は、2006年に病床を閉じる決断をした。

それからは、それまでの20年ほどで築いた信頼関係を土台に、地域のかかりつけ医として往診や健康診断、学校医などに積極的に取り組んできた。特に町内の乳がん視触診検診は、女性である強みを活かし、現在では大岩先生が一手に引き受けている。

こう語ると、身を省みず熱心に地域に尽くしてきた人物が想像されるかもしれない。けれど大岩先生は「そんなカッコいいものじゃないですよ」と謙遜し、少し戸惑いの笑みを見せた。

「外科の専門医資格を取れなかったことは、いまだに心に引っかかっているんです。ただ、外科を極めていくことは私の『使命』ではなかったんだろうなと、だんだん思えるようになってきました。手術は、設備の整った大きな病院の先生にお任せすればいい。私にできることは、患者さんの日々の生活を見守り、できる限りの手助けをすること。痛い思いや苦しい思いをしながら暮らしていらっしゃる患者さんたちには本当に頭が下がります。そういう方々の心の拠り所に少しでもなれたらいいなと思っています。」

 

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(写真左)瀬戸内海式気候に属しており、気候は温暖。
(写真中央)20年以上の付き合いになる地域の方からは、診療以外のことを相談されることも。
(写真右)町全体が「水の郷」に指定されている。