多職種を率いる医師として
患者さんの暮らしを支えるのがやりがい
【神経内科】木下 香織医師
(松江赤十字病院 神経内科部)-(前編)
直接人を助けられる仕事
――医師になる前は動物学を専攻していらしたんですね。
木下(以下、木):はい。理学部の動物学科で、放射線動物学の研究をしていました。毎日細胞を採取して増やして、顕微鏡で見て…という地道な研究生活をしていたんですが、4年生になる頃に阪神大震災があったんです。それまで、将来は研究職かなとぼんやりと思っていたのですが、震災を機に「もう少し目に見えて役に立てる仕事をやりたいな」と感じ、医師を目指すようになりました。当時は学士編入学できる大学がとても少なく、難易度も高かったので、修士課程に進んで研究を続けながら医学部を受験しました。
――神経内科を選んだのは、動物学の研究分野に近かったからなのでしょうか?
木:そうですね、もともと神経系・免疫系のシステムに興味があったのが理由のひとつです。ただ「非常時にどこに行っても役に立てるようになりたい」という思いが一番強かったので、「救急で全科当直を診られるような市中病院に研修に行かせてもらえませんか」と教授にお願いして、それを条件に医局に入りました。うちの医局は入局してすぐは大学病院で内科を回るのが習わしになっていたのですが、言ってみたらOKをもらえました。入局後半年は神経内科、その後の半年は小児科や放射線科、麻酔科などを回らせてもらって、2年目から市中病院に赴任しました。大学病院とは違ったスタイルの診療を経験できて、とても勉強になりました。
――いろいろローテートされた中で、やっぱり神経内科だなと思ったのはどの辺でしたか?
木:急性期と慢性期のどちらにもウェイトを置くことができるという点ですね。市中病院では救急で運ばれてきた脳卒中の患者さんを診たり、長期的に診ていく疾患を診察したり、難病の方の看取りをしたりと、かなり幅広く経験させてもらったのですが、どこにウエイトを置くかによって働き方も違うんです。急性期の疾患を診るのはとても刺激的な一方、慢性の難病を診るときには、その人の生活や家族のサポートなどについても考えながらじっくりコミュニケーションを取っていかなければいけません。治らない病気も多く、自分にできるだろうかという迷いもありましたが、難しい分チャレンジしたいと思いました。
多職種を率いる医師として
患者さんの暮らしを支えるのがやりがい
【神経内科】木下 香織医師
(松江赤十字病院 神経内科部)-(後編)
多職種のコーディネーター
――学生にとって、神経内科は診断することは多くても、直接「治す」というアプローチが取りにくい科なのかなというイメージがあるように思います。
木:私も学生の頃はそう思っていましたね。実際に診断のノウハウはしっかりしています。神経内科では、内科の先生が行う通常の診察に加えて神経診察というのがあるんですけど、神経診察をすると、画像検査ではわからなくても、その方の振る舞いや所見で病巣は脳なのか、脊髄なのか、あるいは末梢神経なのかがわかるんです。ただ、病巣がどこにあるのかがわかっても治せない病気も未だに数多くあります。そういう場合は、病状が今後どうなっていくかを予測し、家族や介護サービスなどの力をどう使って患者さんを支えるかを考えていくことが大事だと思っています。退院後に実際に関わる訪問看護師やリハビリスタッフも交えて話し合いの場を設け、医師が率先してコーディネーター的な役割を果たすことで、その人がよりよい暮らしを継続していけるようにします。今はそういう仕事がかなりやりがいにつながっています。
――そういう役割を果たせるようになるためには、経験が必要ですよね。
木:はい。自分自身が成長して、ようやく少しずつそういう視点から患者さんやご家族と関われるようになってきたと思います。同じ病院に長く勤めることも大事ですね。地域の事業所のスタッフたちと互いに名前を知っているぐらいの関係になれればやりやすくなると思います。
今後のキャリア
――今、2人目のお子さんの出産を控えているんですね。
木:はい。ライフステージと仕事の兼ね合いについては、いろいろ迷いもあります。実はこの科で産休・育休を取って復帰したのは私が初めてなんです。この病院は夜間の救急が多くて、神経内科の中でもそのウェイトが大きいのに、私は一人前に復帰できるのだろうかという不安もありましたが、なんとか他の先生たちが仕事を分担してくださっていて、助かっています。
これからまた産休・育休に入りますが、またここに戻ってきたいですね。一度目の産休の後は、リハビリテーション科に転科することも勧められたのですが、やっぱり神経内科を続けたくて戻ってきたので。ただ、「夜中いつでも呼んで下さい」と言うわけにもいかないので、しばらく急性期脳卒中の治療を中心に据えることは難しいと思います。その分自分が頑張るべきなのはどこなのか考えてみると、変性疾患や難病かなと思い、今はそのあたりを勉強しています。子どもが手を離れたら、もう一度急性期に携わりたいと思っています。
2014年7月現在松江赤十字病院 神経内科 副部長
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