
XX年目のカルテ
多様性を認め合い、誰もが無理をせず働けるチーム作りを目指す
【放射線治療科】永井 愛子医師
(名古屋市立大学医学部附属東部医療センター 准教授/放射線治療科部長)
家庭と仕事の両立の難しさに直面

――前回お話を伺った時、先生はご主人の希望に合わせ、名古屋市立大学(以下、名市大)の医局を離れて福井県で勤務されていました。再び東海地方に戻られたのはなぜですか?
永井(以下、永):仕事と育児の両立を考えてのことです。福井は人も土地柄も良く、尊敬する先生もおり、働き続けたい思いはありました。しかし、北陸は親のサポートを受けながら共働きを維持する家庭が多い一方、私にはそうした環境がありませんでした。特に二人目が生まれた後は、親の援助がないととても立ち行かないと感じるようになりました。話し合いを重ね、最終的には夫が折れる形で、長子が小学校に上がるタイミングで一家で戻ってきました。
――名市大の医局に戻られてからはどのようなキャリアを積まれたのですか?
永:まずは大学病院に勤務し、次に西知多総合病院に一人部長として赴任しました。放射線治療科の立ち上げから携わり、もともと興味があったチーム医療の仕組み作りや実践に注力しました。
チーム医療作りに専心して
――チーム医療に興味を持つきっかけなどはあったのでしょうか?
永:福井県済生会病院時代の恩師を通じて、チーム医療に対する姿勢を学んだことがきっかけです。ただ、そもそも放射線治療はチーム医療が不可欠な分野です。医師・放射線技師・看護師がそれぞれ専門的な役割を果たす必要があり、さらに他科の医師や化学療法チーム、リハビリ部門、栄養士、ケースワーカーなど、関わる人々は多岐にわたります。
また、今は治療技術が上がって患者さんの寿命が延び、同じ患者さんに放射線治療を何回も行う時代になりました。治療が終わっても患者さんの人生は続くため、放射線治療に関する知識を超えてチームで関わっていく必要があります。
チーム医療の体制構築や実践は、私自身の人生の棚卸しでもあると感じています。子どもが生まれる前も生まれてからも、必死で走り続けてきましたが、今は肩肘張らずに、これまで蓄えたものを還元していく時期で、その還元先がチーム医療なのだろうなと感じています。
――西知多総合病院で放射線治療科チームを立ち上げた時のお話をお聴かせください。
永:症例件数など、当初立てた目標は1年目で達成できました。ただ、医師は異動していきますし、医師一人体制だとできることにも限りがあります。そこで、その後はコメディカルの人に柱になっていただけるような体制作りを目指し、ノウハウやマニュアルを残すようにしていきました。
一からチームを作るなかで気付かされたのは、「一歩引いて見る」ことの必要性です。自分の理想を実現できたつもりでいても、それは他者の理想ではなかった...といったこともありました。がむしゃらに突き進むだけでなく、少し引いた視点が大切だということを学びました。
――次に名古屋市立大学医学部附属東部医療センターに異動されたのですね。
永:当院にはもともと放射線治療の非常勤医が一人いたのですが、2020年に常勤医が着任して放射線治療科が新設されており、その後を引き継ぎました。
当院はがん診療連携拠点病院の指定を受けることを目指しており、放射線治療科としても要件が満たせるよう専念しています。私としては、単に診療件数を満たすだけではなく、医療の質を上げていくために、多職種を含めた後進の育成とチーム作りを目標にしています。
今のテーマは無理をしすぎないこと
――「今は人生の棚卸しの時期」とおっしゃっていましたが、今後はどのようなことを目標にしていきたいですか?
永:「無理をしすぎない」を基本にしていきたいですね。自分自身も周囲の人も、患者さんも含めて、個人の頑張りに依存するのではなく、サスティナブルな仕組みを目指しながら、できる範囲で後進を育て、子どもを育て...と考えています。
共働きがメジャーになり、女性の辛さに光が当たる一方で、男性も、仕事に専念することを求める上司と家庭参加を期待する家族の間に挟まれ、辛い思いをしているという話を聴きます。私も家事育児と仕事の両立は辛かったので、医局の後輩たちをできる限りサポートしていきたいという思いもあります。
医療界は、権力を持った人が周囲を引っ張るという、パターナリスティックな雰囲気が残っているように感じることもあります。しかし今はもう、「俺の背中についてこい」という時代でもなくなりました。多様性を認め合い、共有・分担をしてチームで取り組む時代だと思うのです。「自分がいないと仕事が回らない」という状態ではなく、誰か一人がいなくても回る組織を作っていきたいですね。
――「無理をしすぎない」という方向に舵を切ったのはいつ頃ですか?
永:ごく最近のことです。それまで、私はずっと無理をし続けてきました。一人目が生まれた時は産後3週間で東京に専門医試験を受けに行ったくらいです。しかし、仕事も家庭も「べき論」で考えて無理を重ねた結果、子どもに影響が出てしまったと感じるできごとがあり、それが一つのターニングポイントになりました。
私自身は専業主婦家庭で育ったこともあり、「自分は仕事も家庭も中途半端だ」と苦しむことも多くありました。しかし今思えば、例えば食事は外食やテイクアウトを増やすなど、もっと「やらない」を増やして心に余裕を持てば良かったと思っています。
――最後に、医学生へメッセージをお願いします。
永:放射線治療分野は、女性も男性もワーク・ライフ・バランスが取りやすく、長く続けやすい領域だと思います。ただ、長く続けるには経験の蓄積が必要です。子どものいない若い時期が一番経験を積みやすい時期だ、ということを念頭に置いて、キャリア形成を考えていってほしいと思います。

永井 愛子
2005年岐阜大学卒業。名古屋市立大学病院放射線科に入局し、放射線治療分野を専門に経験を重ねる。その後北陸地方に移り、石川県立中央病院・福井県済生会病院にて勤務。2018年に名古屋市立大学の医局に戻り、チーム医療の推進や後進の育成にあたっている。
※取材:2022年8月
※取材対象者の所属は取材時のものです。



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