医学生の交流ひろば

医学生座談会
~再受験生・編入生のこれまでとこれから~

コロナ禍で、医学生同士が集まる機会が少なくなった昨今。日頃なかなか話すことができない本音を語り合うために、医学生が主体となってオンライン座談会を開きました。

様々な経歴の再受験生・編入生

出口(以下、出):今回は色々な境遇から医学部再受験・編入を選んだ皆さんに集まってもらいました。医学部進学までの経緯や大変だったことを振り返ってもらいたいと思います。

真野(以下、真):私と出口さんも医学部以外の大学を卒業してから医学生になりました。この企画が、様々な医学生や医学部を目指す人の勉強の励みや刺激になれば嬉しいです。まず、自己紹介をお願いいたします。

山下(以下、山):富山大学医学部2年の山下です。今は26歳で、経済学部から再受験を経て医学部に入学しました。

尾関(以下、尾):宮崎大学医学部3年の尾関です。教育学部を卒業後、医学部を再受験して入学しました。

湯上(以下、湯):滋賀医科大学3年の湯上です。私は社会学部に入学したのですが、4年生のとき編入試験に合格し、翌年に2年生として医学部に編入しました。

田中(以下、田):島根大学医学部1年の田中です。法学部を卒業後、就職先で5年間働いた後、再受験で医学部に進学しました。

橋本(以下、橋):大阪医科薬科大学1年の橋本です。私は農学部に入学後、起業など様々な経験を経て、医学部再受験を決め、45歳で入学しました。

それぞれの医学部入学物語

:皆さんが医学部に入学するまでの経緯を教えてください。

:僕は高校生の頃、医学部志望だったのですが、数学が苦手で文系に変更せざるをえず、さらにその文系数学が原因で浪人、一浪したのち経済学部に進みました。そのなかで受験勉強と目標以上の入試結果に手ごたえを感じ、再び医学部を目指したいと考えるようになりました。大学と並行して予備校に通い、再受験で医学部に進学しました。

:私は中高時代、勉強漬けの生活を送っていたのですが、このまま外の世界を知らずにいては自分の一生の仕事を選ぶことはできないと感じ、大学で自分の興味があることを学んでから職業選択をしようと考えていました。人間の文化や心理に興味があったので、教育学部に進むことを決め、英語科の教員免許も取得したのですが、大学1年の冬に祖父が亡くなるというできごとがありました。その時、自分が医師になったら何かできることがあるのではないかと考え、次第に医学部への進学を意識するようになったのです。

大学卒業後、予備校に通いながら受験勉強を始めたのですが、理系科目が壁となり、アルバイト生活や宅浪などを経て4年目に宮崎大医学部に合格しました。

:私は社会学部に在籍時、もともと教育に興味があり、教育関係の就職を考えていました。その頃、病院で入院中の子どもと関わるボランティアをしていたことが医学部への進学を考えるきっかけになりました。病院内では治療が最優先のため、院内学級に行く・行かないは子どもの自由という方針でした。子どもたちが親御さん以外と人間関係を構築する機会がないことに違和感を覚え、そのような子どもたちのサポートをするために医師になりたいと考えたのです。ただ、私は数学がとても苦手で、今から一般の受験生と同じくらいの力をつけるのは難しいと思い、数学が試験科目に入っていない編入試験を行っている大学の医学部への進学を目指しました。とはいえ倍率が高いため2浪までは覚悟していたのですが、ストレートで合格することができました。

:私は法学部入学から卒業して就職するまで、浪人や留年を経験したことはなく、レールの上を順調に走るように生きていたのですが、社会人3年目で医学部進学を考えるようになりました。やりたいことがあって就職した会社でしたが、文系の総合職の場合、すぐに希望の仕事を担当できるわけではありません。どこか受け身で働いている感覚があり、このままでいいのだろうかと将来について考え始めるようになりました。

そうして悩んでいた頃、周囲の医療関係者から仕事の話を聴く機会が何度かありました。人を助けるという使命感が根底にあり、なおかつ専門性の高い医療職に魅力を感じ、医学部を目指すことを決めました。

:私は高校時代に生物の勉強への興味をきっかけに医学部を志したのですが、2年間の浪人で一度心が折れ、農学部に進路を変更しました。しかし大学での勉強にやりがいを見いだせず、やがてアルバイト中心の生活を送るようになりました。医学部専門予備校で講師をしたこともあります。様々なアルバイトを経験するなかで喫茶店のマスターを勤めることになり、大学を休学し、店舗経営に集中しました。ある程度ビジネスとして順調になり、4年ほど働いたのですが、やがて別のビジネスをしたいと思うようになりました。その種を探しに大学に復学したのですが、この時、大学での勉強の楽しさに気が付きました。

卒業後は起業し、バリ島でヴィラを始めました。ビジネスとして形にはなったのですが、ビジネスだけを追求していくライフスタイルに限界を感じ、30代後半になった頃、医学部進学の夢が再び思い浮かび、受験を決意しました。結婚し、子どももいたので、家族のために働きつつ受験勉強の勘を取り戻す方法として、予備校講師の職を選びました。42歳頃からさらに本腰を入れて受験に取り組み、3回目の挑戦で合格しました。

周囲の人の反応は?

:他の学部で学んでいたり、社会人として仕事をしていたりするなかで医学部の受験勉強をするということは、周囲の理解がないと難しいと思います。医学部受験を目指すことを誰にどのように伝え、またどのような反応が返ってきましたか?

:私は両親と高校時代の友人に伝えました。両親は私の性格を知っているので、呆れながらも応援してくれました。友人の中には医学部に行った人もいたので、具体的な助言を受けることができ、支えられました。

:私も、周囲からは応援するという声が多かったです。浪人生活中、精神的に疲れ切って一度受験勉強から離れ、フリーター生活を1年間送っていたことがあるのですが、その期間を認めてくれた親にはとても感謝しています。

医学部受験を目指していることを言うと、高校の同期からは「自分も医学部を受けたかったけどできなかったので、挑戦できる環境が羨ましい」と言われることがありました。だからこそ、今の環境に感謝して頑張ろうと思ったところがあります。

:私も親からの反対はありませんでした。あとは親友と指導教授にだけ伝えました。編入は倍率も高く、「文系なのに本当に医師になれるの?」などと言われるのが嫌で限られた相手にしか伝えなかったのです。親友は余計なことは言わず、私が落ち込んだときは「一緒にご飯に行こう」と言ってくれるような人だったので励まされました。

:私は社内では身近な先輩と、一番上の上司にのみ報告しました。両親からは反対もなく、決めたことなら最後までやり抜け、という反応でした。ただ、もしも結婚していて家庭があったら、チャレンジ自体を諦めてしまったかもしれないと思います。

:私は結婚していたので、まず妻に相談しました。妻はもともと歯科医師で、結婚後は専業主婦として過ごしていたのですが、せっかくの専門技術を活かさないのはもったいないと私が勧めたこともあってか、復職したという経緯がありました。そのような経緯も関係してか、医師を目指したいという私の気持ちを理解し、背中を押してくれたので、とても感謝しています。

私の場合、受験に本腰を入れて取り組み始めたのが40代になってからだったこともあり、周囲の人からは「これから医学部に入っても、医師としてどれだけ働けるの?」と言われてしまうこともありました。しかし、自分を追い込むためにYouTubeで医学部受験挑戦を宣言し、早朝の勉強配信をルーティン化するようにしたところ、私と同世代の現役医師や受験生の子を持つ親から応援の声が届いたのです。その声に励まされ、勉強にいっそう身が入りました。

異なる道を歩んだからこそ

:医学部入学前に異なるキャリアを積んだからこそ得られたと感じることはありますか?

:コミュニケーション能力と、度胸がついたと感じます。以前は人見知りしがちだったのですが、仕事で色々な人と接してきたことで、人前で思うように話せるようになりました。また、目的意識が明確なので、一度目の大学生活よりも勉強へのモチベーションが高いですね。

:私は現役生だった頃よりも問題を解く速度が落ち、共通試験の勉強では苦労をしました。しかし、それを鍛えるために過去問を解いた時間をエクセルなどで管理し、何度も反復練習することで乗り越えました。情報処理のスピードや体力などでは現役生に劣ってしまうかもしれませんが、経験を積んだ分、ツールなどを使って要領良く物事を進められるようになったと感じています。

:現役生の頃とは勉強に対する姿勢や捉え方が変わったからこそ、新たにできるようになったことや、見えてくるようになったものもありますよね。これからも、お互いに刺激を与え合いながら、医師になるという目標を目指して頑張りましょう。

山下 智史

富山大学2年

一度目の大学受験で手ごたえを感じ医学部受験に挑戦しました

尾関 有香

宮崎大学3年

応援してくれた親や友人には感謝しています

湯上 弥穂

滋賀医科大学3年

以前の大学生活での経験が医師を目指すきっかけになりました

田中 裕一郎

島根大学1年

社会人経験のおかげで度胸がつきました

橋本 将昭

大阪医科薬科大学1年

現役生の頃より衰えてしまった記憶力や瞬発力は工夫で補い頑張りました

真野 竣

旭川医科大学3年

出口 貴祥

旭川医科大学3年

皆さんのお話を聴いて僕たちもよりいっそう頑張ろうと思いました!

※取材:2022年7月
※取材対象者の所属は取材時のものです。

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