医師のみなさまへ

2023年2月20日

第6回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【入選】

「二度目のさよなら」

阿部 廣美(73歳)静岡県

 〝夏空や飛行機雲の落書き帳〟

 病室の窓から見た情景を詠んだのだろうか、入院中、けんが私にくれた手紙に添えられていた一句だ。彼の心の豊かさに感服する。

 私が健と出会ったのはもう20年も前になる。定時制高校に赴任してすぐに1年の担任と野球部の監督を任された。小柄でくりくり坊主頭の双子の兄弟が私のクラスに入学してきた。兄が健で弟がわたる、快活でお茶目な2人はクラスの人気者だった。また2人は大の野球好きですぐに野球部に入部してきた。

 健は生まれつきの股関節症で全力で走ることができず、いつもびっこ・・・足でボールを追っていた。足が不自由でも弱音を吐いたことはない。打って守って走って、全力で野球を楽しんでいた。

 定時制・通信制の全国野球選手権大会は、8月、神宮球場で行われ、神宮が彼らの夢舞台だった。一昨年、去年と決勝で涙をのんだ。
「今年こそ神宮へ行くぞ!」

 練習に一段と熱が入った。3年生になった健と渡、健は2番セカンド、渡は5番で投手、エースの座を勝ち取った。

 6月の県大会が間近に迫っていた。しかし健にいつもの元気がない。時々息を切らしてベンチに座り込んでいる。部室に戻り横になっていることもあった。そのうち微熱と体のだるさを訴え学校を休むようになった。家の近くの医院に行って診てもらったら貧血、という診断で一安心した。しかし微熱は続いた。私は総合病院で検査をすることを勧めた。健は素直に受診してくれた。専門医のもとで細かい検査を受け結果を待った。

 数日後、母親から電話があった。
「先生、健、白血病です。急性骨髄性白血病という診断でした。」

 電話の向こうで母親はすすり泣いていた。

私はすぐに職員の有志と野球部員の成人者2人とでドナー登録をすることにした。
「健、病魔に負けずにガンバレよ、みんな待ってるぞ!」

 部員全員で励ましの手紙を書いて健に届けた。

 入院3ケ月が過ぎ、健の病状も日増しに快方に向かっていると母親から連絡があった。抗がん剤治療はとても辛いけど、早く治してまたみんなと野球がしたい。と健のメッセージがナインに届いた。

 いよいよ県大会が始まった。健にいい知らせを届けよう。ナインの士気は高まった。渡の好投と打線の活躍で順調に勝ち上がっていった。準決勝も接戦で勝ち、明日は神宮を決める決勝だ。最後のミーティングをしていたその時、私の携帯が鳴った。
「先生、健が、健がだめでした。死んじゃいました。」

 私は絶句して慰める言葉もでなかった。うそだろう......健がもうこの世にいないなんて.........信じられない。部室のあちこちで嗚咽おえつが走った。
「健を絶対に神宮に連れて行こうぜ!」

 みんな唇をんで決意を新たにした。ナインはユニフォームに喪章を付け試合に臨んだ。ベンチには健の遺影も置いた。

 試合は前半劣勢に運んだが、後半、相手のミスと連打で追い付き延長戦にもつれ込んだ。12回裏、渡のスクイズで決勝点をあげサヨナラ勝ちで15年ぶり2回目の優勝を飾った。マウンドに歓喜の輪ができた。
「健、神宮へ行けたぞ、おまえが見守ってくれたおかげだよ。」

 ナインみんなで健の遺影に報告した。

 8月15日、全国大会の開会式の日がきた。神宮球場の赤土に15名の純白のユニフォームが映えた。私はネット裏で健の遺影を抱いて彼らの行進する晴れ姿を目に焼き付けた。球場の空は真っさおな夏空が広がっていた。センター上空で祝砲の花火が上がった。すると神宮の森の方からキラキラと輝く1機の機体が白煙を残しながら旋回していった。

 〝夏空や飛行機雲の落書き帳〟

 健のあの一句が脳裏に浮かんだ。
「健よ、神宮の空はお前の見た景色とおんなじだよ。」

 私は遺影にそっと呟いた。

 試合は渡の力投で善戦したが、1回戦で敗れた。しかし、この一夏の戦いと、友情と、様々な経験は、彼らを大きく成長させてくれた。一生忘れない思い出になっただろう。


 全国大会から帰り、生徒と一緒に部室の清掃をした。棚の隅から健の愛用していたグラブが出てきた。ほこりで汚れていたので布できれいに拭き、革油を塗ってやった。

 私はこのグラブを四十九日の納骨の日に、一緒に健の墓に入れてやることにした。母親も快く承諾してくれた。
「健、健の命がみんなを燃えさせてくれたよ。ありがとう。また天国で野球やろうな......」

 私は健に二度目のさよならを告げた。

第6回 受賞作品

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