医師のみなさまへ

2024年2月21日

第7回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【厚生労働大臣賞】

「命は続く」

松友 寛(59歳)愛媛県

 平成27年1月。父が定期的に通っている病院から電話が入った。父の体に黄疸おうだんが見られるので急遽入院してもらったが、話があるので来てほしいという。慌てて向かった先で聞かされたのは、想定外の病状だった。黄疸は、胆管を流れる胆汁がせき止められて血液中に逆流しているためで、せき止めているのは、
「悪性の腫瘍しゅようと考えて間違いないと思います。おそらく1年くらいかと。」

「1年」が余命を指していると理解するまでに、数秒の間があった。急な展開に頭がついていけなかった。胆管がんというこの腫瘍は発見が難しく、大抵の場合、見つかった時点で厳しい状態になっているのだという。人の良さそうな医師の口調に申し訳なさがにじんだ。

 完治を目指さない父の闘病が始まった。夏を越すまでは割合に元気だったが、医師の診立ては正しく、秋の深まりとともに父は急速に衰えていった。年を越した時点で、通院での治療は限界を迎えていた。2月の末に再入院、そして早くも3月の頭には、緩和ケア病棟を備えた別の病院に転院することになった。

「痛みが出てきてつらいだろうから、体を楽にしてくれる病院に移るよ。」

と告げると、父は情けなさそうな顔でうなずいた。

 

「ここは病気を治して退院する病院とは違うんじゃなあ。」

 転院して数日が経った頃、父がぽつりとつぶやいた。緩和ケア病棟の一室。クリーム色の壁を柔らかい照明が照らしていた。この病棟では、入院患者が肉体的、精神的に少しでも心地よく過ごせるよう、看護師たちが24時間体制で面倒を見てくれる。それまでいた病院とは全く違う空気に触れ、父の表情や言動は見違えるほど明るくなっていた。そんなタイミングだけに、父の言葉をどう捉えたらいいのか分からず、僕はうろたえた。

「わしはこの病院で死ぬんよ。死んで、わしの家に帰るんじゃ。」
と続けた父の口調は、しかし、意外なほど晴れやかだった。自らの死について語りながら、自棄になったような様子はうかがえなかった。末期がんであることは伏せていたが、落ち着いた環境の中で自分の心や体と向き合って過ごすうちに、父は残された時間が短いことを感じ取っていたのかもしれなかった。

 しばらくして、病院から渡された『看取りのしおり』を読んだ。そこに『死はすべての生物が必ず果たさなければならない大切な仕事』といった一文があった。死を悲劇的な結末としか見ていなかった僕の目から、うろこが落ちた。そして父の言葉を思い返した。あれはやはり、人生最後の仕事に臨む覚悟だったのだろう。父の穏やかな語り口がに落ちた。

 入院して3週間。父は1日の大半を眠って過ごすようになっていた。時折目を覚ましたが、もう満足には話せない。何かにおびえたように手で宙を引っくせん妄も現れ、ゴールはいつ来てもおかしくないように思えた。

 そんなある夜、父が体の痛みを強く訴えた。看護師はモルヒネの使用を勧めながら、ただし、と続けた。

「今の状態ですと、眠ったまま起きなくなる可能性もあります。」

 一緒にいた弟と顔を見合わせた。事実上のお別れになるかもしれない。しかし、父にこれ以上の我慢を強いる意味はないと思った。

「お父さん、僕や。聞こえるか。」

 父が薄目を開けた。深夜の病室は静かで、どこからか機械の上げるかすかな音だけが響いていた。弟は席を外している。薬剤を投与する前に、1人ずつ父との時間を持つことにしたのだ。命を閉じるという、最後の大仕事に臨む父。そんな父に言うべきことは何だろうと自問した。思い浮かんだのは、他でもない、燃え尽きようとしている父の命についてだった。父個人の命は絶えても、それで全てが終わりになるわけではない。

「よう頑張ったなあ、お父さん。」
と僕は話しかけた。

「お父さんの血は僕の中に流れとるし、僕の子どもらにも流れとる。あいつらが大人になって、結婚して子どもができたら、その子らにも流れるんや。」

「僕らが元気で生きていくってことは、お父さんからもらった命がずっと続いていくってことやろ。やけん、なんも心配いらんで。」

 小さく父が頷いた。僕の方に顔を傾け、懸命に口を動かす。乾いた唇が震えた。

「あんわれ。」

 あんわれ? あんわれ......そうか、「がんばれ。」か。わかったお父さん、がんばるよ。お父さんから受け取った命やもんな。

 ソメイヨシノのつぼみが綻び始めた頃、父の闘病は終わった。命の火が消えることで、その尊さが際立つような旅立ちだった。

 あの日から7年。僕らは今も父の命とともに日々を生きている。

第7回 受賞作品

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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー