目の前の決断だけに重きを置かず、
臨機応変に立ち位置を変える
~総合診療医 齊藤 稔哲先生~(前編)

今回は、農家や自治体職員といったキャリアをお持ちで、現在は地域医療に携わっている齊藤先生に、これまでの歩みや大切にしていることについてお話を伺いました。

小児科医から農家に転身

福與(以下、福):齊藤先生は現在、気仙沼市立本吉病院の院長であり、総合診療医として地域医療に携わっていらっしゃいますが、かつて一度医師を辞めて農業に従事され、その後自治体で働かれたという経歴をお持ちです。学生時代はどのような働き方をお考えだったのですか?

齊藤(以下、齊):今のような働き方はまったく考えていませんでした。大学を卒業して30年くらい経ちますが、いつも5年くらいのスパンでしか物事を考えられないのです。

卒業時には小児科医を志して入局しましたが、6年目には農業に興味を持ち始めていました。小児がんの治療と研究に従事するうちに、子どもを取り巻く環境の悪化に着目するようになったのです。生活の基本は食べることだから、有機農業をやろうと考えました。また、大学病院では朝から夜中まで仕事漬けでしたが、仕事と生活が隣り合わせの農業なら、我が子との時間も十分に取れるのではとも思ったのです。

7年目に島根県にIターンし、農業を始めました。そこからずっと農業を続けるつもりでしたが、実際はなかなか厳しかったのと、地域に貢献したいという思いから、島根県の診療所で医師の仕事を再開しました。

その後、診療所の仕事をしつつ、自治体でのポストを得て、保健福祉の活動にも携わりました。行政で働くことも予想外で、虐待対策・発達障害支援・新型インフルエンザ対策など、保健福祉のすべての分野に取り組む機会を頂きました。

:その後、島根から気仙沼に戻られたのですね。

:はい。もし東日本大震災がなければ、こちらに戻ることはなかったと思います。災害医療を経験したことで、平時の医療がいかに大切かを実感することができました。

振り返れば、その時々の環境や出会いで、臨機応変に立ち位置を変えてきましたね。

インタビュアーの福與先生。

様々なキャリアで気付けたこと

:キャリアを通じて、先生が人との関わり方で心がけてこられたことを教えてください。

:医師は、ともすれば上から目線になってしまいがちですが、私は誰に対してもフラットな関係でありたいと思い、そのように接してきました。でも初めからそれができていたわけではなく、小児科医の頃は周りから見たら小生意気な若造だったと思います。今思えば、卒業したての若いうちから「先生」と呼ばれて勘違いしていたのでしょうね。ところが、医師を辞めて農家になったとき、農業のことも地域での生活のことも、教えてもらうばかりの立場になりました。こちらからは何もお返しできず、尊大だった自分に気付いたのです。では、自分はここではどういった役割を担えるかと考えた時、医師不足の地域でしたから、医療で貢献しようという気持ちが芽生えました。

行政に携わったときに気付いたのは、医療と行政の立場の違いです。一緒にやらなければならないことが多いにもかかわらず、それぞれの考え方や方法論があまりに異なるため、ぶつかることが多々あるのです。医師は今すぐ実行することが大事だと考えがちですが、物事は自分の発想だけではなかなか動きません。双方を経験したことで、諦めずに合意点を探っていくことが大切だと学びました。

説得ではなく合意形成を

:一般にキャリアの転機においては、自身だけでなく家族の合意も必要になると思います。先生はどのようにしてご家族を説得されましたか?

:転職を考えた時、妻としっかりと話し合いをしました。医師の仕事は好きでしたが、当時、大学病院の先生方は「いつ家に帰るの?」というような働き方をされていました。医療での社会貢献は大切ですが、社会の最小単位である家庭を犠牲にして成り立っていることに、私は疑問を感じていました。妻も、このまま大学病院での勤務を続けたら家庭は二の次になると危惧していたようです。家庭第一という二人の合意が取れた結果、双方が納得できる結論を出すことができました。説得というと、相手をこちら側に引き寄せるような形になってしまいますが、そうではなく、双方から将来像を近付けていくことで得られる選択肢もあると思います。

医療においても同じです。医師は一般的に、努力して入試を突破し、知識や技術を磨き…という道を歩んでいるため、自分のやり方を曲げたくない人が少なくありません。ただ、チーム医療が主体となった現在、自身の主張に周囲が合わせるという形では立ち行かなくなっています。より多くの人と協働することも医師の資質の一つですから、学生のうちから合意形成の方法を学んでほしいと思います。