
職場における健康づくりの取り組み(前編)
職場の環境に介入して、働く人の健康をサポートする
職場は、健康になるための場所ではない
――職場での保健活動について、産業医の視点から教えていただけますか。
森:まず、医療機関での診療と決定的に異なるのは、「職場は、健康になるために来る場所ではない」ということです。病気になって医療機関を訪れる人は、「自分の問題」として健康に関心を持っています。しかし職場で日々働いているときに、そんなことは考えません。
ですから、職場における保健活動で大事なのは、「仕事や人生の充実と、予防や健康づくりは関連している」ということを、従業員に伝えることです。また、仕事で成果を出すには、従業員が一定以上健康であることが大事だ、ということを経営者に理解してもらう必要もあります。最近は「健康経営」という言葉が使われるようになり、企業の経営のためにも従業員の健康を保つことが重要だという考え方が、少しずつ広がってきています。
変化し続けるニーズに応える
森:産業医の役割は、職場における従業員の健康をサポートすることです。自分の専門性や関心といったものにこだわらず、そこにあるニーズを丁寧に拾って、対応していくことが求められます。例えば、抑うつ状態の従業員がいるのに「精神科のことはわからない」と言って対応しないのでは困ります。実際の治療を行うのは外部の医療機関でも良いですが、従業員や職場が抱えている健康課題をあぶり出し、予防対策を行うところは、産業医が担うべきでしょう。
――様々なニーズに応えられる引き出しが必要そうですね。
森:はい、産業保健の仕事は、それぞれの時代のニーズに合わせて変化してきています。実際、産業保健は職場の結核対策から始まったものなのです。それが高度経済成長期に重化学工業分野で働く人の増加に対応して化学薬品・毒物による健康被害対策にシフトしました。その後は、サービス業への転換が進んだことによりメンタルヘルス分野のニーズが高まっています。そしてこれからは、インターネット・人工知能といった第4次産業革命が進むことが予想されます。産業保健は、これまでと同じように、産業構造の変化に合わせて変わっていかなければなりません。さらに言うと、先制的に動いて、ニーズを少しずつ先取りして準備しておけば、実際に問題が出てくる頃に対応することができます。

職場における健康づくりの取り組み(後編)
働きかけるのは「環境」が中心
――そのような活動を、どんなアプローチで行っているのですか?
森:産業医は、従業員一人ひとりにも働きかけますが、職場という「環境」に働きかけることを特に大切にしています。人の意識や行動は、環境によって変わるからです。
例えば、長時間労働が常態化している職場でいくら「運動をしなさい」と言っても仕方ないですよね。けれど「みんなが健康になって、良い仕事をしよう」と経営者や上司が考えている職場なら、従業員も健康づくりに積極的になれるのではないでしょうか。そういった環境を作ることが、結果的に生活習慣や運動習慣の改善につながるのです。
――環境へのアプローチは、病気の治療などと違って、わかりやすい成果ややりがいが見えにくくはありませんか?
森:確かに、病状が劇的に回復するといったわかりやすさはないかもしれません。けれど、ヘルスリテラシーや健康行動など、自分が関わった集団の変化がアウトカムとして目に見えてわかる側面もあります。
また、ヘルスプロモーションを行うと、会議の中で健康に関する話題が出る頻度が明らかに増えるんです。産業医は、多くの人の健康に、わかりやすい形で関わることができる。専門的な研鑽は求められますが、とてもやりがいのある仕事です。

産業医科大学
産業生態科学研究所 教授
産業医実務研修センター長
産業医の教育に関わるほか、経済産業省や厚生労働省の各種会議の委員を務める。
column 健康経営の推進に向けて

公益資本主義推進協議会
大久保 秀夫会長
2015年12月、私たち公益資本主義推進協議会は、日本医師会と共同で健康経営に関するシンポジウムを開催しました。健康経営とは、企業が従業員の健康増進に積極的に関与して、長く働き続けることを支援し、それによって社会の持続可能性や企業の生産性を向上させようという考え方です。最近は、東京証券取引所が「健康経営銘柄*」を指定するなど、産業界を挙げて従業員の健康づくりに取り組む機運が高まっています。
私たちの組織に参加する中小企業の中には、従業員の健康づくりに十分に取り組めていない所も多いです。特に、産業医の選任義務のない従業員50人未満の企業では、従業員に健康診断さえ受けさせていない会社も少なくありません。ですから、まずは従業員の健康を守ることの大切さとメリットを、経営者が理解していくことが必要です。
そのためにも様々な地域で、医師・医療者と経営者が一緒になって、従業員の健康づくりや、健康に働ける職場づくりについて意見交換し、協働していくことが大切だと思います。東京都板橋区では、医師会の先生方と経営者による勉強会を開催するような取り組みも始まりました。
これは、医学生の皆さんにも無関係な問題ではありません。皆さんの使命には、病院を訪れた患者さんの治療を行うことだけでなく、人々が健康的にいきいきと働くことができるような社会をつくることも含まれると思っています。期待して、応援しております。
*健康経営銘柄…従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組んでいる企業に与えられる。東京証券取引所と経済産業省が共同で選定している。




- No.44 2023.01
- No.43 2022.10
- No.42 2022.07
- No.41 2022.04
- No.40 2022.01
- No.39 2021.10
- No.38 2021.07
- No.37 2021.04
- No.36 2021.01
- No.35 2020.10
- No.34 2020.07
- No.33 2020.04
- No.32 2020.01
- No.31 2019.10
- No.30 2019.07
- No.29 2019.04
- No.28 2019.01
- No.27 2018.10
- No.26 2018.07
- No.25 2018.04
- No.24 2018.01
- No.23 2017.10
- No.22 2017.07
- No.21 2017.04
- No.20 2017.01
- No.19 2016.10
- No.18 2016.07
- No.17 2016.04
- No.16 2016.01
- No.15 2015.10
- No.14 2015.07
- No.13 2015.04
- No.12 2015.01
- No.11 2014.10
- No.10 2014.07
- No.9 2014.04
- No.8 2014.01
- No.7 2013.10
- No.6 2013.07
- No.5 2013.04
- No.4 2013.01
- No.3 2012.10
- No.2 2012.07
- No.1 2012.04

- 医師への軌跡:大久保 ゆかり先生
- Information:Autumn, 2016
- 特集:保健の視点 人々の健康な生活を支える
- 特集:様々な場面における保健活動の実際
- 特集:地域における健康づくりの取り組み
- 特集:職場における健康づくりの取り組み
- 特集:誰もが自分の健康を主体的に獲得できる世の中へ
- 医科歯科連携がひらく、これからの「健康」① 口腔疾患の全身状態への影響
- 同世代のリアリティー:文系研究者 編
- NEED TO KNOW:山形県寒河江市「無事かえる」支援事業の取り組み
- 地域医療ルポ:熊本県熊本市|おがた小児科・内科医院 緒方 健一先生
- 10年目のカルテ:泌尿器科 眞砂 俊彦医師
- 10年目のカルテ:腎臓内科 岩永 みずき医師
- 10年目のカルテ:腎移植外科 岡田 学医師
- 医師の働き方を考える:医師の多様な働き方を受け入れる公衆衛生という職場
- 医学教育の展望:住民・行政と共に地域の未来を考える
- 医師会の取り組み:平成28年熊本地震におけるJMATの活動
- 大学紹介:金沢大学
- 大学紹介:東京女子医科大学
- 大学紹介:滋賀医科大学
- 大学紹介:長崎大学
- 日本医科学生総合体育大会:東医体
- 日本医科学生総合体育大会:西医体
- グローバルに活躍する若手医師たち:日本医師会の若手医師支援
- 第4回医学生・日本医師会役員交流会 開催報告
- 医学生の交流ひろば:1
- 医学生の交流ひろば:2
- FACE to FACE:廣瀬 正明×榛原 梓園