XX年目のカルテ

巡り合わせから思いがけず出会った院長という仕事
【病院院長】三石 知左子医師
(東京かつしか赤十字母子医療センター 院長)

想像もしなかった、院長という進路

――三石先生は葛飾赤十字産院(現・東京かつしか赤十字母子医療センター)の副院長を経て院長に就任され、全国に91施設ある赤十字病院のうち唯一の女性院長として活躍されています。先生が院長になられるまでの経緯をお聞かせください。

三石(以下、三):当院の副院長になったのは、前院長である進純郎先生に「一緒に地域の周産期医療に従事しませんか」と誘っていただいたことがきっかけです。進先生とは以前、福島県の小さな病院で地域の産科と新生児科の医療を共に担った経験があり、盟友のような存在でした。

当時、私は東京女子医科大学で講師をしており、今後のキャリアについて悩んでいる時期でした。大学に残り続けたり開業したりするイメージは湧かず、市中病院で新たなキャリアを始められないかと漠然と考えていた頃だったので、ありがたくお受けしました。とはいえ、まさか副院長のポストを頂けるとは思わず、大変驚きました。進先生としては、副院長が小児科医の女性であることは、病院としての一つの大きな目玉になる、とお考えだったようです。

その後は副院長として進先生をお支えしていましたが、ある日進先生に「還暦で退職して田舎で好きなことをしたいから」と後を託されてしまったのです。先生は「院長と副院長では見える景色が全く違うから一度やった方がいい」ともおっしゃいました。自分が院長になるとは想像もしたことがなく戸惑いましたが、当院は診療科が産科と小児科のみ、病床数は100床強という目の届きやすい規模なので、「周囲の力を借りられればできるかもしれない」と考えてお引き受けすることにしました。

病院の新築・移転に力を注ぐ

――院長就任後はどのようなことに取り組んでこられましたか?

:最も注力したのは、病院の新築・移転です。建物の老朽化が進み、配管が壊れて天井から水が落ちてくるような状況で、一日でも早く進めたいと思っていました。

病院を建てられる広い土地となると学校の跡地などがふさわしく、その土地を持っている行政とつながる必要性が出てきました。そこで、それまで特にお付き合いのなかった葛飾区役所を訪ね、区長にご挨拶をし、関係作りを始めたのです。区長は当院を「区の宝」と言ってくださり、すぐに土地の手配を進めてくださいました。

移転先の土地は、区の図書館の分室がある所でした。区から「『母子』をテーマとした図書館として、院内に図書館機能を残してほしい」と要望があり、当院としても願ってもないお話で、喜んでお受けしました。こうしてできた「葛飾区立にいじゅく地区図書館」は、蔵書2万冊のうち半分を母子関連の本が占め、私が仲間と共に選んだ20冊を「院長推薦の本」として置いていただくなどしています。

――移転に向けて院内をまとめていくのは大変だったのではないでしょうか。

:新病院の基本構想の部分から皆で考え、意思統一して進めるようにしました。新病院に関する私の要望は三つありました。一つ目は全室個室にすること。二つ目は、葛飾区という水害リスクの高い地域にある病院として、災害に強い病院にすること。三つ目は、職員のリフレッシュのため、職員用フロアをスカイツリーなどが見える眺望の良い最上階に設置することです。その三つ以外は全て各部署に任せ、病院全体として意思決定が必要なときにだけ判断するようにしました。看護部は、働きやすい動線を作るために、廊下の幅やお手洗いなどあらゆる所をメジャーで測り、徹底的に設計士さんと話し合っていましたね。皆で協力して作り上げた新病院なので、今のところ大きな不満の声は聞かれません。

――院長として意思決定をするとき、大事にされていることはありますか?

:私はせっかちで、すぐに自分の意見を言ってしまう傾向があるので、なるべく「あなたはどうしたいの?」と話を聴くように心がけています。相手と意見が異なる場合は、病院全体としてプラスになるのはどちらかと慎重に考えて判断します。一度決定を下したら貫き通し、責任は自分が取ると決めており、そうしたブレのなさは周囲から認めていただけているのではないかと思っています。

――院長の仕事の魅力は何ですか?

:一つの組織を動かすダイナミックさは大きな魅力です。全体を見渡して組織を導く経験は、誰にでもできるものではありません。責任は重大ですが、様々な巡り合わせから院長職を拝命し、病院移転も実現できて、本当に嬉しく思っています。

――今後の展望をお聞かせください。

:定年まであと3年強となり、院長としての最後の仕事は、スムーズな世代交代を実現することだと思っています。

定年後は臨床医に戻りたいですね。今も乳幼児健診では週2回ほど臨床に出ていますが、小児科の一般診療からは離れて久しいため、定年後はどこかで研修を受けようと考えています。人生100年時代なので、80歳くらいまでは現役臨床医としてやっていけたらと思います。

2018年熊本地震にて医師として災害救護活動(1列目中央右)。
病院スタッフとの集合写真。

ご縁を大切にし、チャンスを掴んで

――医学生へメッセージをお願いします。

:私自身、様々なご縁から院長になりましたが、医師の世界は、人とのご縁やつながりで人事が決まることがよくあります。「一枚の名刺がきっかけで、今この仕事をしている」という話も珍しくありません。ですから私は、若手医師や医学生と話す機会があれば、名刺を作って配るように伝えています。ある時、私の話を聞いた学生さんが「これが私の最初の名刺です」と手書きの名刺を渡してくれたことがあり、強く印象に残っています。皆さんもぜひ名刺を持ち、様々な機会で自己アピールするようにしてください。

また、大きなお話が回ってきたときはためらわず受けてほしいです。声がかかるということは、ふさわしい能力があると見込まれているわけですから。「地位が人を作る」ということを、私自身強く実感しました。最初は「自分には無理だ」と思っても、就任してみるとその地位にふさわしくなるよう人は自ずと努力するものです。皆さんも、与えられたチャンスを積極的に掴んでいただきたいと心より願っています。

三石 知左子

北海道出身、札幌医科大学卒業、東京女子医科大学小児科学教室入局。1999年、葛飾赤十字産院副院長。2006年、同院長。2021年6月、長年の課題であった新病院への移転を実現させた。葛飾赤十字産院は移転と同時に「東京かつしか赤十字母子医療センター」に改称した。

※取材:2022年11月
※取材対象者の所属は取材時のものです。

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